モスクワの日々・・・
いだきしん先生、高麗恵子さん、モスクワでの経験を心よりありがとうございます。
モスクワへと出発した日は早朝に家を出たこともあり、飛行機ではぐっすり眠り、目が覚めるとモスクワに到着していました。
空港からホテルへと車で向かう道中、窓から何本も何本も立っている、その木々を眺めていると何故か私は先生のCD “Love”を思い浮かべていました。高麗さんはモスクワの町並みをご覧になられながら「懐かしい」と仰っていました。私は「懐かしい」と言っていいのかわからないのですが、なんとなく、心落ち着くような不思議な気持ちになりました。
ホテルに到着すると、次の日にお会いする事になっていたロシアの方と、少し前に京都にもいらしてくださったエチオピアの方が会いにいらっしゃるとの連絡があり、驚きました。モスクワへのフライトは長いため、お疲れかと思いきや、モスクワの方とエチオピアの方とラウンジでお話していると高麗さんは元気満々となっていました。その後のエチオピアの方とのディナーでは、先生が色々な大切な事をお話くださいました。エチオピアでされてきた事もお話してくださいました。私は、先生と高麗さんがエチオピアに行かれていた頃はまだお会いしていなかったので、知らなかった事が多かったのですが、本当に先生と高麗さんはずっとずっと子供達の事、未来の事、世界中の人々の事、平和実現を考え、ずっとずっと活動してきてくださっているのだとわかります。
ありがとうございます。
次の日の打ち合わせの時間に少し早めにロビーにてお待ちしていると、到着した日の夕方にロシアの方と一緒にいらしていたカフェご担当のロシアの女性の方がすでにいらしていました。高麗さんのロシアの「同胞」の方から遅れるとのご連絡があり、ロシア語しか話されないカフェのご担当社様と先生と高麗さんとエチオピアの方とでラウンジでお待ちしている間も、皆で大笑いする楽しい時を過ごさせて頂きました。カフェご担当の女性の方は高麗さんの数々の作品のお写真や日本にある各拠点にある「高麗屋」カフェの数々の写真をご覧になられながら、胸に手をあてられ「スーペル(super)」と何度も仰り、感動を現されていました。そうしている内に、高麗さんが「ポケトーク持ってきます。」と仰り、少しするとポケトークを片手にお戻りになられました。ポケトークは自動翻訳(通訳)機です。
日本語で話しかけるとその場ですぐロシア語に訳し、音声と文字であらわしてくれる便利グッズです。ただ、時に間違った言葉として読みとっており、とてもおかしな訳となるのですが、それもまた面白く、皆で大笑いし、ちゃんと訳され、通じた時も皆で「お~」と関心し、これまた大笑いし、どんどんそのロシア語しかお話になられない女性のご担当者様と心通い合い、仲良くなっていきました。
パリの時も感じましたが、高麗さんと、いだきしん先生を中心とし、言葉が通じない国々の人々と心通じ合っていく経験が私はなんとも嬉しく楽しいです。そうこうしている間に、高麗さんのロシアの「同胞」がいらっしゃいました。そこからは一気に話が進み、コンサートご担当者様もいらっしゃり、1500人のコンサートから5000人、そしてロシア全土で先生のコンサートを、カフェもモスクワ、次はここで、ここも・・・とどんどん大きな展開となっていきました。なんとスピードが早いのでしょうか!コンサート開催に向けて先生のプロモーションをされるお話を聞きながら、ふと車から見える大きな先生のお写真のビルボードや、テレビやラジオに出演されている先生を思い浮かべ、先生はロシアで有名人!5000人のホールの内、どれぐらい日本の皆なのだろう・・・と日本の皆様と一緒にモスクワに来ている場面も思い浮かび、「すごい!」となんだか、感心していました。
その次の日はカフェの候補地を見に町に歩いていきました。「伝統的なロシア料理」のレストランにつれていってくださいました。美味しいご飯を食べさせて頂きながら、お話をしている時にロシアの方が高麗さんの「手となり、目となり口となり」と表現された時、実際に手を叩いていたか、少なくとも心なかで、私は手を叩いていました。このような表現をされる方は高麗さんの「同胞」で決まり!と感じ、うんと嬉しかったのです。カフェの候補地を見てまわり、ロシアの高麗さんの「同胞」とラウンジにて、再度打ち合わせがされました。モスクワでのカフェが立ち上がり、ウラジオストクのギャラリーもオープンし、日本にあるカフェも海外にあるカフェやギャラリーも相乗効果で同時にどんどん上がっていけたら嬉しいと感じました。
次の高麗さんの「同胞」はどの国にいらっしゃるのでしょうか。
そして王様の世界中に出会いを待つ「同胞」探しの旅は続くのです・・・。