ノイズ
応用コースに参加できましたこと、大きなことです。高麗さんの書き込みを詠ませていただき、実際に先生にお会いして私はそのことだけでとどまってはいられないことがあると痛感しました。私にとって今を乗り切ること、乗り越えないと先はないことをわかっています。いつもそうですが正念場と考えます。二日ほど前から元気が出ないのは存在論、死について、そしてジェンダー講座にでられないことが原因でした。
先生が頭のノイズを火入れとともになくしてくださいましたから不思議と不安はありません。今朝はすっかりと秋の香りのする風と共に目が覚めました。同じことをしていても状況も毎日変わります。講座には出られませんが大切なことからそらさなければ伝播することを知っています。まだまだし残していることが山のようにあるのです。このままでは死ぬこともできません。気が付いたことをどんどん実行していきます。落ち込んではいられません。今日も訪問に行って夕方から老健施設に行きます。今日行く利用者さんは先日から歩けなくなり今日は風邪気味ということです。それでも認知症と言われながらもひとりで暮らしています。自分の家でこだわりある生活をできるということは大きなことです。先生の面談の一言で始めた仕事を違う形で続けています。それも何か意味があるのでしょうか。今は在宅、施設、認定調査で様々な方とお会いすることができます。それこそいろんな方、暮らし方、価値観があり一つのところだけでないことに何か意味を感じています。
よろしくお願いします。