スタート
今日は、空間が再び、斜がかかり、見え難い日でした。当たり前ですが、昨日と同じ今日ではなく、何かがガラリと変わったことを感じました。今日のコンサートでは何を経験するのでしょうかと、予想がつかないので、ドキドキし、向かいました。
第一部メッセージ「聖なり」
「「聖なり」の主語はあえて省きました。日本語は主語を使わずに、即分かり合える言葉です。「聖なり」で、どのようにお分かりになったでしょう。一度、主語など考えずに全身で感じてみてはいかがでしょう。バロック時代の「通奏低音」のように「聖なり」が響きあうのです」
「通奏低音」という言葉が心に浮かぶいつにない演奏に、異国の香りがしました。この香りを辿っていくと、チグリスユーフラテス川の香りであったり、そうかと思えばエジプトを感じたり、インダス、黄河。。と古代文明が始まった川の畔を辿るようでした。アラビアの砂漠の香りもしました。何故かの理由はわかりませんが、古代文明が生まれた川の畔の香りは魅力的で、神秘的な香りに包まれ、とても素敵な夜を過ごしているようでした。やがて、頭が垂れ、主語が私が。。。では傲慢な生き物であり、地球上には邪魔なだけの存在ということを生命をもってわかったのです。以前、先生から自然が主語であるとのお話をお聞きしたことを思い出しました。今日の演奏からは真にとわかりました。この頭は使い物にならず、生きても行けず、何一つ解決もできないことを甚くわかりました。この頭で、最近特に毎回の講座にてお話してくださる地球環境の問題をなんとかできないものかと考えているのです。考えられる訳がないと今日は甚くわかりました。まずは自分が主語である生き方はやめると決めました。
第2部は「聖なる生命」
「地球環境が日増しに厳しくなり生命あるものが生き延びることが困難です。もちろん我々人間も同様です。健康に生きること、幸せに生きること、楽しく生きること、何よりも肝心な愛し合うことなど。今までと同様ではなかなかうまくいきません。一度、見直しが必要です。今までの感覚や感性ではより良く生きるヒントすら思い浮かばないでしょう。生命は「聖なる生命」なのです。」
メッセージの通り、今までの感性や感覚では生きていけない状況となっていることを自覚しました。たくさんのコンサートを経験させていただいています。生命は新しい生命を得ています。新しい感覚、感性となっているのに、今までの感性や感覚にとどまっていることは生きていけなくなることに気づきました。胸の痛みは止まっている苦しみと見えました。いつも良い世の中を作りたく、世界の平和を実現したく生きています。自分が主語の頭になった時は頭にゴミがたまるだけで、一歩も前進できないことに気づき、感覚、感性もとどまっていては先を作れないどころか、生き延びてもいけない状況となっていることを生命をもってわかる経験となりました。今日から新しい生命感覚、感性を養い生きていくことを考えます。真理を表現し続けてくださっている音と感じる演奏でした。一挙に飛翔する演奏とは違い、同じところにいながら真の音を同じペースで弾いてくださっていると感じる演奏でした。その音は内面に入り込み、響き、自分の内面が素通してみえる経験でした。全体から見たら一部のごくわずかのところが止まり、苦しいことがそのまま見えました。あるがままが見え、ここからスタートできます。今日から新しい生命で生きるスタートと考えます。人間は本来聖なる生命であるので、曇らせることなどできない生命であることを受け止める経験となり、自分の状態がよく見えました。良いと思うこともやっていると思うことも自分が勝手に思っているのです。あるがままを受け止め、先へ向かうことが真のスタートとよくわかりました。ありがとうございます。