ジェンダー
自分の中に自分ともし仮に自分とすればとんでもなく恐ろしい自分が同時にあるような状態で苦しんでいました。まさか、自分が生き霊になっているとは愚かながら認識できませんでした。今日のジェンダー講座で、はっきりとそのカラクリがわかり、自分が生き霊になる状態があることが大変な問題であると認識しました。先生が仰って下さったとおりに、その元はキリスト教の宗教観念、罪意識から抜け出せていない状態から始まっていると整理をすればこれまで何年もただ繰り返している男女関係の在り方が何故そうなっているのか、説明が付きました。私のうらみは、何に対してのうらみなんだろうかと、先生のお話をお聞きしながら疑問に感じたことが始まりでした。単に一人に対するうらみとは思えない、一事象に対して抱いたうらみでは説明のつかない、強烈なエネルギーが渦を巻いて抜け出せない状態にありました。何に対してうらみがあるのかがわからないという私の問いに対して、それは私が女であるから、女は罪の権現とされていた歴史がある、そのうらみであることをご回答してくださった先生の言葉に救われました。罪意識の中での男女関係から始まっていることを今以て越えられず、性が罪であるという観念を現在も繰り返し、観念が関係を支配しているとわかりました。
また自分が生き霊となっていったきっかけが、「飽きる」という状態にあり、そのことも先生にお聞きできたことで心の陰りが消えました。性ホルモンの問題があり、そしてホルモンが影響を受けれているのは関係であることをわかったので、自分自身の問題として捉えることができました。
そこまできて、そもそも2人の関係は何が問題なのか、どちらかが悪いなどということではなく、組み合わせの問題を仰っておられた先生の言葉を受け止めます。お互いの生きている時間や状態、感覚のズレが顕著になってきている今、本来冷静に問題にすべきことが別にあったと感じています。内面的なつながり、内面から始まっていること以外は続かないことも感じ始めています。いだきと出会ったこと、本音から始まっていることは、飽きる飽きないという世界とはかすらない、別次元にあることをわかる自分の生命の感覚は確かなものであり、手がかりと感じています。
生命懸けるという表現を先生はされますが、生霊、怨霊がいるのが昔からわかっていたから、人を愛することは生命がかかるんですよ、と仰った先生の表現をお聞きして、今日少しその意味をわかった気がします。最後の情報のお話はなんとなくよりわかりませんでしたが、グリーンの光の生命は性差がないことと、社会全体がジェンダーをひとかたまりとして、これまでのジェンダー観とは異なる在り方に変化してきていることは生命に感じ、これからの時代をどう生きるかを考え、自分たちの関係に向き合っていかなければいけないと考えました。
先生がおられなければ怨霊は怨霊のまま繰り返すよりない状態を先生の存在に助けていただき、変えていただき、自分の感覚を取り戻し東京に帰れますこと、本当にありがとうございます。