KEIKO KOMA Webサロン

ジェンダー


講座の冒頭、母親に対する恨みがあり、関係ができるとその恨みが今度は男性との関係の中で自覚されていくという話から始まったジェンダーは、あまりに正確であり衝撃的でした。母に対しての恨みがあることは重々承知していて、10代の頃直接母と話し合ったこともありました。話し合ってもお互いわかってほしい、受け容れてほしいという欲求をぶつけ合うだけで、解決することはないまま現在に至っています。幼少期の母との記憶が欠落していることも不思議でならず、居るはずの母が私にはいないという寂しさから成長できていない感覚があることをジェンダーに向かう数日自覚していました。母親を探して男性を求めていくという、この永遠に行き着くことのできない徒労は辞めようと感じました。
幼いころより社会に適応し社会に評価されることを第一とした所謂英才教育のもとで育ち、母親をはじめ大人の期待に応えることが生きていく術であった、このプロセスの中で確かに優等生を演じることはできても、自分は始めから物であり、今も物でありつづけていることが自覚されます。異性との関係は親との関係とは異なりますが、その異性との関係の中でも自分が物でありつづけていることは、自分が相手の理想に近づくことで捨てられない努力をしているという無意識が働いていることを自覚したときに、よくわかりました。この延長線上にいるまま社会的な地位を得たところで、社会に認められたところで、幸せからはかけ離れていく気がするので葛藤していくのです。今、性愛という生きることの喜びと直結する何かがあるという期待を抱いても、なかなか成就していかない、永遠に無理であると絶望し諦める寸前にいる限界から抜け出したいと心から望みます。性愛の中で経験しうる変性意識に到達したいという欲求はいだきに出会えたことで目覚め、それからずっと変わらずあり続け、しかしその欲求が満たされない恨みが狂気となり破壊力となってしまう恐怖が自分自身の中で堂々巡りすることは、無駄なことにエネルギーを浪費しているとしか思えないのです。人を傷つける恐怖から死にたくなっていくことも多々あります。それでも本当は恨みに変わるパワーを、未来をつくっていくパワーにしたい気持ちはあるのです。
自分自身で自分の美しさを追求し磨いていくことがないままきてしまった結果が今であるのかもしれません。周囲や社会に評価されることに最大の価値をおき、自分自身の価値が分からなくなってしまったこと、物格化とはそういうことなのかもしれないと考えます。

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