コンサート
イダキのホームページにアップされたコンサートの数々に驚きを覚えながらもこれからの参加を考えていました。先月の渋谷三鷹コンサートが随分昔のようにと感じます。あの時、軸を経験し、父に対しての本音がわかり、何かがガラガラと崩れていき、力がないのか、それとも力が入っていたのがなくなったからかわかりませんが、身体が違いうまく表現ができません。同時にこれまでとても頑張ってねばならぬでコンサートに参加していたことがわかりなんだか力が抜けてしまいました。父に対するこだわりがなくなると同時に、父やこれまでの関係や全てがまるっきり違い、どう表現したらいいのかわからない状態がしばらく続きました。イダキのこともわかっていなかったのもわかりました。神秘的な経験をしながらそれは一部だったことがわかると、意図的な言葉や行動が煩く感じます。それは他人の言葉や行動、ネガティヴな会話、その反対に意識的なポジティブシンキングなど、全てが無駄な事でありそれでもそれを経験しなければわからなかったと感じます。解釈も意図もなくそのまま言葉をわかる自分になりたいと願います。長女の子供は、少しでも意識が強い人や暗い空間に反応してむずがります。忖度という言葉は微塵もなくそのまま反応する姿に気がつかさせれています。大人よ、それが先があるの?と常に問いかけているようです。今週の三鷹コンサートを心待ちにしております。ありがとうございます。