コンサート前と後の体験
コンサートが始まるまで、なぜぐずぐずはやめられないのか、会場でノートに書き出していました。とにかく直ぐ動く。横にならない。やる事を書く等、書きながらどれも決定打ではないと感じつつ、コンサートが始まりました。盛岡ならではのメッセージに惹き込まれます。最後の「時間の壁を乗り越えること」に驚き、毎日数字や、それ以外の人間関係に追われ、くたびれ果てて帰ってきてまで効率よくだなんて、冗談じゃないと思わずコンサート中に本音が出ます。反動で横になり、追われることから解放されたい一心でいるくせに、自責の念に駆られています。会社にいる時のようにテキパキでたらと、この矛盾のジレンマがよく見えます。学生の頃にやっていたフランス刺繍の丸い枠が、すっぽりと頭の上に嵌っています。それは、細かい棘のような目盛だらけで、頭の上をぐるぐる旋回していました。突然その枠がスポッと抜けた時、平行旋回から垂直に何かが自由に飛び出しました。それは、先生の世界と全体と溶け込み、頭の縛りが気づけば無くなっています。今日見た、光と影の美しい世界で風に揺れている薔薇の世界に、私もいました。何て気持ちいい幸せな時間のない世界なんでしょう。以前アンフィニで先生が仰った「眠らないと体が保たないのでは」との光景が、こんなにはっきりと見え、更にその枠が抜けたことに驚きの第一部です。
第二部のメッセージには、思わず申し訳ない思いで天使に頭が下がります。更に、計算機のように数字を叩き出し、明けても暮れても繰り返す、モノだか機械だか分からない今が、よく見えます。天使は、身勝手な私の我に対しても、働きかけて下さるのでしょうか。最後のメッセージ「生命はつくれません」に、心臓が大きく反応します。余計なことは何も考えずに、ひたすら集中することに努めました。頭の枠が取れたその先、天使と共にどこへ通じたのでしょうか。宇宙を飛び越えた、見たこともない世界です。何一つ負担がなく、この上なく身軽で自由な世界から舞い戻ってきました。アンコールの手拍子では、全身があたたかく世界中の方たちが同じく舞い戻ってきたと体感するコンサートです。頭で何度言い聞かせても、言葉に書いた気になっても駄目だと、コンサート前に書いたからこそ分かる体験です。ありがとうございます。