KEIKO KOMA Webサロン

コンサートの経験


7月14.15日の三鷹コンサートに参加させて頂き誠にありがとうございました。

日々の行いに時間がかかってしまい表現が遅れてしまいました。

14日は「大いなる標」「大いなる目的」でした。
第一部はメッセージをお聞きして、とても集中して臨みました。演奏から受け取ったものは、昨年末から一貫しているある方向性でした。美しい様々な色彩の世界を感じました。常に自分の期待だけの話だと考えるのですが、コンサートで感じた「標」と考え大切にしてゆきます。
第二部は冒頭からロマンティックでとても美しい演奏と感じました。しかし冷房に気を取られ途中から集中が途切れフワフワと雑念の世界へ行ってしまい、意識的に駄目だ!と気持ちを切り替え演奏に集中しました。
純度の高い音の中でも最も純粋な音だけを抽出し、川面に映る光のように、純粋な美しい音が光と水に反射してプリズムのようにキラキラと輝いて空間に響き渡るように感じられました。
その時、世界中の人々が幸せであって欲しいと心で感じられました。それは普段意識にのぼる感覚でなく、美しい演奏によって引き出された心と感じました。環境が、空間が美しければ人は人間性が引き出されると演奏により経験させて頂きました。
しかし何故途中で集中が途切れてしまったのか、、幸せがより幸せになるように生きる事が未知で怖いのか、大きな目的が持てないからか、考えてしまいました。
15日、第一部は「大いなる魂」でした。
申し訳ないのですが最初は演奏に全く集中出来ずに雑念ばかりが浮かんでゆらゆらした状態でした。ピアノの音から私が尺八の音色のような、導きの印と感じている音が聴こえ、その途端に内面のスイッチが入りました。全身全霊を集中させて音の辿るところをわかりたいと耳を澄ませました。最初は春雨に濡れるごとくに身体の表面に音が浸みるように感じました。内面の中心まで音に響いて欲しい強い要求に心臓がバクバクしながら全神経を集中させ、演奏に耳を澄ませていました。少しづつ、じわじわと内側に音が浸み込んでくることを感じ、最後は音が内側に響きました。自分を無くし、ただ先生の表現される音だけを内側に響かせること、その事をこんなにもいのちが要求していたことに驚きました。
第二部は「愛は大いなり」でした。
第一部で神経を張り詰め、尖っていた状態が徐々に角が取れて丸みを帯びてゆくように感じられました。いつも「愛」を表現される演奏の時は心に沁みて感じられるのですが、今回は頭で「愛」を認識しようとしていて、とても不思議な感じでした。
融合する働きを感じました。
そして最近読んだ三島由紀夫さんの小説の主人公がその純粋さを貫き通そうとして最後は自害される結末を何とも悲しく感じていたのですが、先生の表現される愛の世界を経験されていたならば、何とか生きる道を見出したのではないかと考えました。
私の中には自己を追求すると排他的になる誤った傾向があり、宇宙や地球や自然や人々の中で、それらと交流し共感の中で生きているという事を忘れ、勝手に孤独になり、疎外に陥る悪い癖があります。愛を忘れてしまう故と考えます。
愛は包み込むようにそこにあり、いのちを丸くして森羅万象と融合させて下さるような働きがあることを演奏から感じられました。
その愛の働きは、生命体にとってかけがえのないエネルギーであり、生きる糧と感じます。
表現することは間違いに気付いたり、更に経験を深める為に良い方法と考えます。
かけがえのない素晴らしいコンサートでの経験を誠にありがとうございました。
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