コンサートと共にある今宵の月
連日の店での立ち仕事の疲労が脚にたまり、脚を引きずるように歩く日々でしたが、家の掃除を済ませてからNew円満コーヒーをいただくと、脚の疲れがかなりらくになります。三鷹からコンサート会場まではたっぷり20分は歩きますが、午前中の脚の疲れなどまるでなかったかのようにひたすらコンサート会場目指し歩ける脚になっていることに、体は正直だなと、意識で使う体との差がはっきりします。
久しぶりのコンサートは、先生のピアノの倍音があまりに鮮明に響いてくるのでした。一音に響く倍音は空間に広がり、次元が変わっていきます。一部も、二部も、宇宙の煌めきが天の川のように美しい星にみえて、その光りのなかに濃紺の星が一つ、この世にはない光りで煌めいていたのが印象的です。この美しい次元を知ったなら、闇に負けないとみえました。一部では、命の元に帰っていくように、幼い時と今が混在し、それでいて次元が違うところにいるのです。一部か二部か定かではないのですが、バール神殿で出会った蒼い空がありました。
二部では、涙がマスクのなかで流れました。愛は命の中心にありました。命は愛で、愛は中心でした。否定するのは頭であり、愛を特別視する意識があるからと感じるのです。生まれる命は愛が中心。否定するのは自分がという自我であるからと感じるので愛をただそのまま受けいれました。
その後一気に体の中心に、凄い圧が通り抜けていくのを体感しました。
明日もコンサートに向かいます。
ベランダを開けた夜空に輝く月が出ていて、明日も荒れると予報があるのに、月はコンサートと共ですね、と感じました。
待ちどおしかったコンサートをありがとうございます。