オンデマンド時間差
夜勤があると日付の堺も壊れてつい書き込みも毎日ではなくなってしまっていますが、オンデマンドで新しい経験を積み重ねさせていただいているので いま書かせていただきます。
時間のズレの経験というのは 非常に不思議でした。
確かに聞いたはずの音なのに、先生の音はもうまるで聞いたことのない音で、先生の即興演奏は二度と同じにはならず、先生の音は深い森の中を歩くような感じで二度と同じところにたどり着けない、瞬間瞬間現れては消えてゆく生き続けの生命森、のようでした。先生の世界は「中」で、「なか」に入り込んでしまうと言葉も何もすべて溶解してしまいます。言葉は「「なか」の入り口」なら成り立つ感じで、言葉にしてしまったとたんに入口に追いやられます。
例えば先生の音を聴いているときに「われわれは宇宙」「ひとりひとりそのまま宇宙」と感じたのですが、2度目に聞くといつどこでそんなことを感じたのか、まったくわからなくなっていました。その時にしか現れないことの連続であること了解しました。
例えば大きな建造物を作る時。実際の現場では穴を掘ったり木を切ったり石を運んだりの肉体労働をしています。労働するときはその所作に没頭しないとケガすることもあるので集中が必要です。でも全体がわからないとやったことが活きないので、現場の総監督と心ひとつが必須です。高麗恵子総監督大明神に深く感謝いたします。
オンデマンドによって時間のずれを自覚し、部分と全体をよりはっきり自覚していきます。ありがとうございます。