KEIKO KOMA Webサロン

エクソダス


モーセといえば『海割り』ですが私には今回『滝割り』という言葉になり、「滝は割らないと思うけど・・・」と過ぎりながら経験する凄まじい演奏は一瞬で終わりました。私は聖書に詳しくなくモーセの存在は小さい頃母と通った教会のこども用聖書でお目にかかったくらいで、あとはいだきへ来るようになってから先生や高麗さんのお話で「本当に存在が在るんだ」と知りました。1音目からの優しく懐かしいのに聞いたこともない、新しい音に、日本だけで生きているのではなくここに在りながら世界と通じていることをわかりました。

第二部は長く感じられて、座っているだけでも苦しく、「もっと美しく座りたい、もっと美しくなりたい」と耐えました。人と繋がるにはもっと美しい自分で在りたいと感じます。先生の背筋を伸ばす強さ、隙の無さ、笑顔、、、誘惑に負けやすい自分の戒めとしたいお姿を前に、ひたすらじっとしていました。弱いと、連帯できないです。これは最近良くわかることです。自分に足りないところだからなのか、修行と感じる演奏の音、音、音にひたすら耐えるよりないという状態でした。一、二部通して「先導する」という言葉が生まれました。内面にあるものを追い、向かっていくときに真に愛の連帯をしていけると感じます。ありがとうございました。

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渋谷区文化総合センター大和田さくらホールにて-4
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大いなる存在と繋がり
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東京高麗屋にて