エクスタシー
開放感に満ち満ちた脱力感、身体の底から満ちたりた満足感に浸るままに書かせていただきます。
今日は朝起きた時から何かが変でした。
身体に力が入らず、意識していないと目蓋を開けていることもままならない体調でした。食べても飲んでも身体のスイッチが入らないローテンションのまま一生懸命、意識的に働き、コンサートに向かいました。
コンサートが始まると朝から続いていた脱力感は最高潮に達し、もはや何も意識することもできない状態でした。私にはこの身全てを委ねる以外に手立てはありませんでした。カオスの中に一条の光が差す瞬間意識が戻ってきたり、ふと人類は酷い歴史を繰り返してきたものだと、一瞬意識に上ったりするのですが、意識できない状態が続いていました。
2部になり、それは突然の出来事でした。
一瞬自分の中にある恐怖感を捕まえました。恐怖の元は女性であるこの身体に由来していることを感じるとほぼ同時に女性であるこの身体をあるがまま受け容れようとして下さっている存在をわかりました。あるがまま、どんな装飾もどんなレンズも一切ないあるがままを受け入れようとしてくださっている存在に、私は意識的に一歩身を委ねることを決めました。その瞬間でした。堰を切ったかのように嗚咽が止まらなくなりました。あるがまま美しいと、こんなに優しくされたことは、どれだけ過去を遡っても覚えのないことでした。やっと腰が立ち椅子に真っ直ぐに腰掛けることができました。しかし涙は止まらず最後の最後まで泣き続けていました。神の名の下に歪められ、利用され、魂を抜かれた挙句に捨てられてきた悲しみが怒涛のように押し寄せ制御できるものではありませんでした。そんな神は神ではないこと、男によって歪められ固められ作られた身体がどんどんと解放されていくそのプロセスは言いようのない喜びであり悲しみであり、全身の筋肉は電撃が走っているように震え続け、手先まで痺れは起こっていました。この身体はあるがまま受け入れられ、優しくされて、とてつもない開放感と共に幸福感の絶頂に達していました。そうか、女性の幸せはこれなのかと悟りました。一瞬涙が止まり冷静になった次の瞬間には生命の奥から世界中の女性が幸せでありますようにと泣き叫んでいました。半ば半狂乱であることを意識しても止めようのない嗚咽が押し寄せてくるのでした。これこそ真の性の解放ではないかと感じるのでした。男性の快楽や権力のために幾年も利用されてきたこの身体がどんどんと解放され、あるがままに、まるでそこに咲く花があるがままに美しいように女性であるこの身体はあるがまま美しいと受け入れられ愛されていく幸福の絶頂に居たのです。
コンサートが終わるとそれは朝からあったどこか気持ちの悪い脱力感とはまるで種類の異なる開放感と喜びに満ちた脱力感を経験していました。近代化に伴って教育された女性たちは男性のような女性となってしまうことにふと悲しみを覚え涙が滲む一瞬、そう感じている自分が不思議に思えて仕方ありませんでした。真に女性の性が解放されたなら、過去のように怯えながらまるで繭の中に閉じ込められているかのように生きなくても良いことを感じます。この身体はあるがまま美しいと受け入れてくださったこと、本当にありがとうございます。