イブのコンサート
三鷹風のホールのコンサートに向かう気持ちはいつもと違っていました。メールと電話でコンサートを伝えていました。そこではチケットは決まらなかったけれど、はたらきかけを受け、他で決まったしますことに、ありがたい気持ちです。先生が昨年12月23日に退院された翌日の日はイヴの日であったこと、改めて知ったこの日です。一部の「初恋」のメッセージを読み返し、初恋と恋の違いをわかりました。初恋は内面の世界で起こっていることなのだと感じます。私の青春は中学時代から人に恋をされ、自分も人を好きになる恋だらけの青春でした。いつも恋をしていなければ自分ではないと感じ、いつも胸ときめき生きている青春時代であったのです。一部では清らかな雪が降っている大きな光景です。大きな木に積もる雪がどさっと落ちてくる光景にイエスを感じました。一部の終わりに、イエス様をお産みになられたお方のお心の温もりを演奏から感じました。一部が終わり二部の「玄牝との関係で愛」では、私は以前、小学校の時、ほのかにときめいた人のことを時折り思い出していることがあって、あれは一体なんだったのだろうと考えることがありました。よくわからないけどふんわりした優しい風をもつ人をいいな、と感じていたのです。まさか、思い出すことでその感覚を使おうとしていたのかどうかわかりませんが、メッセージを読み直した時、初恋は時間の中にない、そして、今も生きる中に溶け込んでいるのだと認識すると、過去と未来がつながるような気持ちになります。二部の一番最後の音は消えゆくまで耳を澄まし共にいますと、青い筋のような道筋が続いていて、内面に溶け込んでいくのです。とても深遠な経験です。二部で、涙はどれだけ流れたことか、この涙はどこから流れてくるのか、それは、世界を音で変えておられる先生のお姿をみて流れる涙です。先生の計り知れない愛に、この世に生還されたお姿は、世界が先生を必要とされているからであると感じるのです。
魂の深いところからしぼりだされるように流れる涙に、欠けた愛を丸く満たし、本来の自分自身を取り戻します。どうしようもなかった気持ちから解き放たれ、愛を生きられるこれからは、たとえようもなく満ちる喜びとともにいます。コンサート後の日々を生き、先生と高麗さんとともに、世界の平和をつくる道を歩んでいけますことに感謝しています。ありがとうございます。
