アントレプレヌールサロン
アントレプレヌールサロンをありがとうございました。日本の神話について、日本の原初となる神々の働きについてお話しくださり、とても尊く満たされていく体感でした。日本にあるのは、対象となる神ではなく、祭祀に働く優れた力、その気高く高貴な優れた力をカミと呼び、カミは働くヒトによってその働きを変えるため不定であると理解しました。
一神教の神観念は私の意識と一体になり、自己に対して対象としてある神という観念から抜け出すことは大変なことであると感じます。先日のコンサートにて、まさか、、と大変な衝撃を受けました。その衝撃をその場で正しく表現できていないのだと思うのですが、初めて、日本の神話が自分ごととして生命にあることを経験させていただいたと感じています。家に帰ってすぐに本棚に何冊もある古事記に関連する本を次々に開いて見ていました。初めて興味をいだき、読み進めることができました。西洋の神の話は大好きで自分に親しいことを感じてきましたが、日本の神話は苦手でした。やっと今日本人であることの元を取り戻していけると感じ悦びを感じます。
絶対的な神を対象にする意識があるので、神と人間の関係を考えたり、人間と自然の関わりを考えたり、全ては対象にあったと見えてきます。「モノ」という感覚の元にあることのように感じます。先日のコンサートで日本の自然、山々、海川、あらゆる動植物に宿る力を感じ、自然を畏れ自然の中に神の働きを見出す魂を感じこの国は凄いと驚きました。日本人であるはずの自分が日本人の魂を全く失ってしまっているという驚きとも重なりました。日本が戦争に負けたという実感に加え、学校教育の多大な影響も考えます。私の行った学校の創設者は日本にやってきた初めてのプロテスタン宣教師であったことを調べて初めて知りました。日本人の魂などどこにあるのかわからない状態の上にキリスト教を元にした教育によって頭が何重にも固められていったと感じました。その後の人との縁もこの系統から来ているのだと考えることがとても多いのです。アメリカ人が創設した学校であることを理由に早期の英語教育こそ美徳であると教えられ、私も幼い頃から英語を強く意識して育ちましたが、先生に何度かご指摘をいただいたように日本人であること、日本語で正しく表現する力がついていない上に英語を勉強するので、行き詰まり中途半端になりました。
連日のコンサートを経験させていただき、日本の元を辿れば、古代の日本社会はまるで違ったことを生命のうちに初めて感じはじめています。今まで気づかなかった魂の源を感じます。