よみがえり
詳しくは調べておりませんが蘇り、甦り、黄泉がえり、、。この言葉を探求したくなりました。と申しますのも今朝気づいたことがありました。先日の「高句麗伝説」にて、声を抑えに抑えて号泣、嗚咽した、東明王様と瞬間瞬間、新たなる魂蘇っていたと遅まきながら自覚したのです。現代社会は人が人として生きられる世の中ではないとわかります。愛する人の子を身籠ったり育てたり、もっと自由に生きられる存在なのに雁字搦めです。高麗恵子さんの詩集「麗花」には10代の頃に書かれた詩が収められています。いだきしん先生と出会われる前から、この世は檻に入れられているようと気がつき表して下さっていました。そんな気付きは皆無で此の世に合わせて生きなければと必死でしたが、表して下さっていた方がいらして、人間とは何かを探求し続けて下さる方がいらしたから生きてこれたとわかります。幼い頃、心の中にみつけてとても大切にしてきた、ほんの小さな光が導いてくれたIDAKIとの出会いです。連なる魂の悲願でもある 愛の国創りははじまっています。先生も高麗さんも正に生命賭けてのおはたらきです。動かずにはおられません。聖王様方も変化変容、ことばに尽くせぬ畏多さでありながら、出会え、生きるよろこび、真のよろこびは増すばかりです。
世界中の人々の心に弔意が生まれている今、私も多くのことを感じ、気が付きます。職業病のような視点が多いですが、いだきでの経験や本音をどんどん表していきます。
人類史の大転換期に生きていることは間違いなく、9月13日の三鷹 高句麗伝説にて、かつてない初めてのことがたくさん起こった事は此の世の現実でわかります。内面、蘇った魂中心に生きて参ります。
ありがとうございます。