やりながら動く
昨夜の雨から明けた朝、梅雨空に戻ったかのような曇り空に蝉の鳴き声が聞こえます。季節が秋へと移ろう風を感じながら聞く蝉の声は、残夏の物哀しさを感じます。死について、ジェンダーの講座を受け、頑張っていたワンちゃんの悲しい報せを受ける等、日常の毎日の生活に流れる時間は静かに流れ去っていくと、初めて時間を目にしたかのような驚きがあります。と同時に、だからこそ前を向いて歩くと強い気持ちが生まれます。
先日のジェンダーでの身体の歴史も初めて知りましたが、強制的に変えられているとの話に実感があります。組織の中で分業という役割を与えられ、一人一人がその枠から出ようとしなければ、全体が動くどころか見えるわけもありません。そこに時間の縛りとお金が絡むので、更にがんじがらめとなる構図がよく見えた講座です。働いているのは生身の人間なのに、データでしか労働生産性を見ないからこそ、本当の実態が見えないのだとよく分かりました。目の前の山積みの課題の中、時間がない、人がいないと嘆いていないで
今、何をするのか、どう動けば全体が動くのか、昨日から考え始めました。目の前の山積みの書類の光景が違って見え始めた時、人に伝えながら、自ら動き始めました。やりながら考える。実行していきます。