KEIKO KOMA Webサロン

やりたいことを実現できる心身


節分の今日、自然に鬼は外、と声を出していました。父は真剣に豆まきをしていました。そのことを思い出し、自分の内から余計なものは一切追い出したい気持ちで府中に向かいました。今日のメッセージは、意外なメッセージでした。

第一部「愛を実行するうえで」

「コロナ禍は続きます。普段どのように生活なさっているのでしょう。蔓延防止になり、レストランは閉店時間は短くなり、職業や家庭の事情によっては、食事がなかなかままならないということが多いのではないでしょうか。コロナ禍以前の食事のしかたが理にかなっているかということになってくると、自信をもって自分達の食事が正しかったかどうかということは言えないでしょう。コロナ禍になって正しくなったかどうかということになると、各々の言い分はあるでしょうが、人に正しい食事のあり方を整理して伝えられることがあるでしょうか。主食と副食のバランスということぐらいをお考えになっても、それは基本的に間違いです。「愛」を実行する以前に疲労しやすい肉体になり睡魔が襲います。根本的な「愛」の経験から、「愛」を実行できる、しかも、どんどん「愛」が深まっていくことのうえで、常日頃の食事を見直すことは、「愛」を実行できる身体には必須です。」

第2部「愛という豊かさを欠いては」

「人生の豊かさを否定する人はいないでしょう。愛という言葉を使っても、限定的に表現されることはあっても、それを愛とすれば、愛は単なる何かの手段になってしまいます。「愛」を中心に据えて食事内容を見直すなどということは途方もないことに感じられたかもしれません。より豊かな「愛」を嘘偽りなく実行するうえで適切な食事内容が必要です。「愛」がよくわからない人が栄養学的に完璧に作った料理が目の前にあるとしておいしくいただけるでしょうか。コロナ禍にあり、身が縮むような日常を喧伝されていては、せっかくの人生をそれも豊かに愛し合える人生を見失います。ぎりぎりの時こそ、本物の人間性「愛」がわかります。」

パイプオルガンの演奏をお聴きしていると、音が胸の内に入ってきました。インドへコンタクトを取るようにとのメッセージを受け止めました。何故インドなのか、やはりインドなのかと考えました。そのうち、胸の内に黄色の光が見え、黄金の鳥が神々しく輝き、圧倒的な存在を表し、現れました。神の鳥ガルーダです。お釈迦様を感じ、仏教を考えました。失礼ながら今まで最も苦手な世界です。胸の内の黄色の光はバランスを教えてくれました。愛を実行できる心身に必要な食事とのメッセージを考えました。思い出すのは、タンザニアで出会ったケニヤとインドのハーフの方のことです。スタッフが彼の家に招かれ食事をした時、次のお料理がより美味しくなる順番でお料理が出され、全ては最高に美味しく、元気になったことを皆から聞きました。作り方を尋ねたら、愛と答えたそうです。時折ビデオ講演会でもお話していますが、中東へ行くと、美味しい手料理をご馳走になった時、愛を感じます。愛がなければこんなに美味しく体に良いものは作れないことを生命をもってわかります。そんなことを考え、演奏により愛に満ち、神に出会い、とても神聖なる美しい音が胸の奥深くに響き、最も聖なる経験をさせていただきました。ピアノで神を表せることに感動しました。昨夜のコンサートで自覚した表面の意識でまわりに反応し、端々に外れていく無駄が多く疲れる神経が癒されました。頭の真ん中に光の柱が立った感覚がありました。ありがたいことに意識しなくても、表面の意識でまわりに反応することがなくなっていました。鬼は外と声を出しながら、意識的に内にある曇りを無くそうとしても無くならないことが、演奏をお聴きし、なくなっていたのです。いつもですが、ありがたいことと頭を垂れます。

2部では、モンゴルの草原を馬に乗り風とひとつに走り抜けている体感でした。食事のことが書かれてありましたので、モンゴルで食べたものを思い出そうとしましたが、お肉よりなかった印象です。私はお肉が食べれなかったので、困っていました。モンゴルを発つ日の前夜に、ご招待を受け、伺ったお家での手料理が一番美味しかったです。ロシアの影響があった時代の公団住宅のような集合住宅に招いてくださったのです。電気もないので、私の手を取り、階段を上り、お宅に連れていっていただきました。今でもよく話すのですが、今までで一番美味しかったケーキはこのお宅の手作りデコレーションケーキでした。私が作るケーキのようにがさがざで固い生地ですが、ぬくもりあふれる体感が忘れられないのです。やはり愛がありぬくもりある関係でお食事をいただくことが美味しいと感じ、体にも良いと考えます。翌日、空港で私が入国カードを失くし、モンゴルの紙幣をもっていなかった為に、出国できずに泣きべそをかいていた時にこのお宅の方が突然現れ、言葉も通じないのに、私に出国できる金額のモンゴル紙幣を下さったのです。私は感動と感謝の涙よりありませんでしたが、人生で2度と会えるかわからないのでお金を返せないと日本語で一生懸命言ったのですが、私に下さったのです。白馬の王子様のお話としよくお話してきたことです。2部ではモンゴルの草原を走っている体感でしたので、お料理のことと合わせ、しみじみと愛よりないと感じていたのです。ジンギスハーンを感じたり、高句麗の朱蒙様も感じました。皆が生きていけるには食べ物が大切であったと教えられるようでした。アンコールでのアリラン的な演奏はいつもと同じに深く感動しました。今日の音は歴史を感じ、多文化が融合した音に聴こえました。「国創り」と言葉になりました。最もやりたいことです。今日は食事のメッセージをいただきましたが、私には自分が生まれてきて最もやりたいことを実現できる心身としていただく経験となりました。余計なことに囚われず、生命の内に立つ光の柱となる本音を表し、実現していける心身を養っていただきました。これでやれる環境も条件も整ったと心の中で言いました。行く時は余計なものを背負っている重荷を感じていましたので、真剣に注意深く運転し、向かいました。帰路はおおいなる存在に守られていることを生命で感じ、光に包まれ、運転できました。今日のメッセージに書かれてありましたが、コロナ禍にあり、身が縮むような日常とは行く時の心身の状態であるとわかります。何かあると、人のせい、まわりのせいにし、話し合えば通じるのに、またされたと限度になり、切れていく状態です。冷静に考えれば、たいしたことがなくても大ごととなり、神経質になっていく空気の中でまさに身が縮むという表現がぴったりな状態となっています。それよりもこの世に生まれ、自分でよりできないこと、最もやりたいこと、自分の資質を活かしていくことを思い切り行っていくことばかりを考えた方がいいと、昨日と今日のコンサートで身をもって感じました。やれる心身としていただけましたことは真にありがたいことです。コロナ禍になり、家を出ることも恐れ、それこそ身が縮むように暮らしている多くの方々にご経験いただきたいと感じました。私は心通い合い、コンサートをお伝えしていきたいと考えています。ありがとうございます。

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宮城県の方が、宮城から運んでくださいました