やさしい
第一部 「しなやかさ」
弾力に富んでたわむさま。上品。たおやか。優美なさま。
身についたしなやかさには男女共に本当の自由に生きている姿を見ます。
あらゆる物事に柔軟に対処し優雅に解決をみます。
柔軟とはいっても優柔不断とはまったく無縁です。
しなるということは、しなったままでは折れてしまいますから、
芯はバネのように戻る力があります。
現代は上から言葉巧みに言い含められ
いつの間にか生死を危うくします。
しなやかさの芯は神の神(しん)でもあります。
神と共にあるしなやかな生命ほど強いものはありません。
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第二部 「感性」
感性活かす経験。
各々の感性は経験して活かされます。
感性は自分で経験してはじめてわかることです。
どのように豊かな感性も伝える事はできません。感性は経験によりわかります。
生まれつきの運命に翻弄されては、本来の感性は見当もつかないでしょう。
生まれつきの運命は感性により感じ抜け出して優れた運命に変換します。
理性以前に感性です。感性活かす経験を継続して感性は豊かになります。
どうしても個々人の感性なので継続は難しく、いつの間にか感性豊かな生命は奪われます。
歳とともに感性豊かに
歳とともに美しくなるのです。
愛しかり。
今朝も体が痛み、コンサートがあるので、たくさんの抜け出し口を求めるエネルギーが集まっているとしか考えられませんでした。被りの時は、鎮痛剤を飲んでも効きません。三鷹公会堂に行き、先生にお会いした時から、体が熱くなり、やっと生きた心地がしてきました。体が痛んでいましたので、リハーサルを聴かせていただきました。生命癒され、ここが生きる場と安心しました。開演前にビデオ講演会をさせていただき、開演を迎えました。 「柔軟に対処し、優雅に解決をみる」「神共にあるしなやかな生命ほど強いものはありません」という言葉がずっと心にありました。今日のような被りの痛みの時には疲労困憊してしまいます。神共に生きるよりないと心に言い聞かせ、おおいなる存在とつながれるようにと祈ります。真の強さを身につけていければ生きていけると感じます。疲れ果てた生命には先生のピアノの音ほど生命にやさしいものはありません。芯からやすらぎます。涙が出てきます。色々ありましたウクライナの方のお姿が見えなかったので、寂しい気持ちがありましたが、20分の合間にお越しになり、そのお姿を見た時に、涙込み上げました。その後も安心し、芯からやすらぎ、頭の中心に神を見ました。神が入ってきてくださったと感じました。涙よりありません。
ウクライナの方も心が安心できたと大変喜んでおられました。来てよかったと涙ぐんでおられました。皆でこの経験ができれば、世界中で不安や恐怖に怯えている方々も心底やすらぎ安心できると感じ、世界へ届けと祈ります。
第2部も癒されることばかりです。先生の音のリズムに合わせていると、自分では寝ているつもりはありませんでしたが、頭がガクッと落ちた時には驚きました。頭の中では先生のピアノが鳴っているのです。先生のピアノのリズムは心身を真にやすめてくださいます。普段もこのリズムで生きていきたいと望みます。華麗なるアリラン的な演奏に愛の国を見ました。心身癒され、安心でき、緊張も恐怖に脅かされてきた疲れもとれ、新しい生命を得ました。私は痛みにより、脅かされていたように感じていましたが、今日からは脅かされずに、生きていきたいと心の底から望みました。痛んだ体を感じていると、昨夜お話したレバノンの方の声が響いていました。生命痛む生き方より知らない現代人であることの悲しみを感じます。一生懸命生きることは体を痛めていると感じました。悲しいことです。皆、先生にお会いでき、運命解放され、生命やさしく生きていければいいと、涙が込み上げ、祈ります。
コンサートが終わり、頭の中が変わったことを自覚しています。何か寂しさ、悲しみを感じ、涙滲みます。コンサート中も今日は先生の演奏をお聴きし、悲しくて涙滲むのでした。人間は生命やさしい経験をしないと生命やさしく生きていけないと感じたのです。私たちは先生のコンサートで自分の生命をもって生命やさしい経験をさせていただけます。なんとありがたいことかと芯から感謝し、涙込み上げるのです。世界中で生きていけない環境にあるたくさんの人々にこの音を聴いていただきたいと心から願いました。聴ける私たちは幸せです。ありがとうございます。