やさしい 愛
昨日の三鷹コンサートにて、アンコールでの拍手の響きと広がりがずっと心にあります。みんなで聴いている、みんなで参加している、みんなの中に溶け込んで一つになる、その深い安堵感と幸せが今も身体の中にあります。
20日のコンサートのメッセージで、「幸福は周囲との関わりのなかで実現します」とのお言葉がありましたが、そのことが頭ではなく、内面の奥の奥・・・のほうから徐々に、何かがほどけていく感じで分かり始めています。
「縦の関係から横の関係へ」・・・新宿でのコンサートのメッセージをお聞きして、そのコンサートを経験した時から、胸の前面がやわらかくなり窓のように開いていく感じ続いていて、内面の奥からの変化はこの時から途切れることなく続き、昨日のコンサートがあります。
おおいなる存在のもと、みんなで一つ・・・と書けばとてもやさしいのに、そのやさしいが分からない状態でずっと生きていたことが、そのもつれてしまった糸が徐々にほぐれ、ほどけていっている安堵感の中に居ます。
何もかも・・・本当はやさしい。ふっと目が開いて、視界がクリアーに開かれていく驚きと目覚めの中に居ます。雪が溶けるように、凍てついた土壌がゆっくりと緩んでいくように、先生のピアノの音は愛の光のシャワーとなってずっと降り注いで下さっています。さらに、それは私ひとりの孤独な内面だけに起こっていることではなく、誰の内面にも起こっているし、内面はみんな一つに繋がっています。内面がほどけ、緩んでくると、孤独な世界から全体へ溶け込み、自分というものが変化変容し、ゆっくり広がっていっているような、新しい目覚めの中に今、居ます。
やさしい 愛 。とても短い言葉。それをわかるのにどれほど遠回りし、どれほど目を見えなくさせられ、そのくせ偉そうに生きてきたことでしょうか。ごめんなさい と言葉になります。花が一つ一つ咲いていくように、一つ一つ、やさしいが分かっていって、心の中が花でいっぱいになれば良いです。
毎朝井の頭公園を歩いていくとき、公園の外れにグランドの土手があります。土手というには短いのですが、私はその土手を歩いていくのがとても好きです。土手なので空が近くて、空に見守られている感じで色々な種類の小さな木、名前も知らない草、草花が茂みをつくっています。雀や小さな鳥も元気に飛び交っています。その中の小道を辿って行くときとても幸せを感じます。空と茂みと小道の風景はそのまま心の風景で、私の心には色々な種類の草、花、木、鳥、が一緒にあって、それが全て空に見守られている・・・最近コンサートを経験するたび、この風景が心の中に広がります。
身近な自然の中にも常に、先生はいらっしゃる、先生のピアノの音は鳴り響いている、と感じます。そして導いてくださっています。愛に満ち、周囲の人と一緒に生きられるように、生きられるように・・と絶えず愛を降り注いでくださっています。何によってもぶれることなく、何にも惑わされることなく、降り注がれる愛に真っ直ぐ応えていくことが、生きて、進む道です。