もの
昨日の狛江応用コースでは、もの、ということをお伝えいただき、コンサートのメッセージでお聴きしたときはまったく?だったのが、日本の文化や、日本人として、自分のなかにも感じていけることに嬉しさを覚えました。
いだきに出会う以前でしたが、源氏物語を夢中になって読んだことをよく覚えています。平安時代の空気や自然のなかに、ものの怪が色濃くあり、そこに男女の色、恋、が物語となっていく、何故だかそういう平安時代の文化が面白くてたまりませんでした。と同時に自分のなかにも、在る何かを感じながら読み進めていたという記憶があります。今でも、草が生い茂った草むらに雨あがりの匂いがするときなど、自然のなかに昔を感じ、歴史的感覚が蘇る感じがし、源氏物語が甦ります。体と感覚は日本人でも、頭は、いつの頃からか、一神教の西洋の神観念になっていったのだとおもいます。それが著しく現れるのが、人を裁き、対象化していく、和気あいあいが無くなった現代人の兆候です。すぐに裁判に持っていく西洋の考えは、恐ろしいほど自分の頭のなかにも巣食っています。
コロナも対象化しないということをよくわかっていくことも必須です。
今日のコンサートにも参加させてくれる家族の代表でもあり、命を運ぶコンサート、三鷹、風のホールに向かえること、ありがとうございます。