KEIKO KOMA Webサロン

むす。そして「愛(え)」で見えたもの


たかみ「むす」ひのかみ

前回のコンサートの経験とともに、これから何年もかけて理解深まっていくことでしょう。これからずっと日本の美しいかみさまとともにありたいです。

一部は一瞬で終わり、二部は最近よくある、心の一番やわらかいところに一番キツい角度からくいこむ鈍い痛みを感じ、「これか・・・」と耐えました。目を瞑って皮を剥がされるような痛みを逸らさずに感じているといくつもの部屋がみえました。見えるものだけでは5~10部屋くらいで、それぞれの部屋で明るく豊かに、絵を描いたり美味しいものを食べたり、本を読んだり会話をしたり笑ったりして楽しく幸せに暮らしているのですが、一つだけ真っ暗な部屋がありました。灯りもつかない、暖房もない、蜘蛛の巣がかかり、ひたすら冷たい。痛みはここから発生していること、この部屋は、生きていくために見てはいけなかった負のものを一挙にひきうけたことを直感しました。

仕方が無いのでその暗くて冷たい部屋を感じ、先生のピアノとパイプオルガンを感じ、じっとしていました。ドアは閉じていて、長年くっついていた脂のようなものがこびりついているので、開こうとすると痛みと血が走ります。痛いので、無理に開かずに、音に任せます。すると部屋は暗いままですが、周囲を先生の音の光や暖かさ、柔らかさが包み込みました。なかったことにされずに包み込まれました。まだ部屋ごと光に変わったかはわかりませんが確かに光が取り巻いて、安全な中に在ることがわかります。

コンサート後、あの部屋割りはよく解離性同一性障害の方の証言で出て来たりする気がしてスマホで調べると、偶然私より3つ年上の女性のタレントさんが出て来ました。そのタレントさんは自分の中に3人の別の人間がいると言い、「そういった障害の初期症状」とどなたかが記事で取り上げていたのですが、この社会で日常生活に支障が出るほどの病ではなくても人間の中身というのは様々なやり方で痛みを分散し生きていけるように出来ているのだと思いました。本当に本来の人間のまま「愛(え)」で生きられたらこの暗い部屋の存在自体全体からなくなるのではないかとも考えました。

コンサート中登場した部屋は私の内部でもあり、家族全体の内部でもあり、親戚全体の内部でもあると今になり感じます。もしかすると青森全体、日本全体、世界全体、宇宙全体、とフラクタルかもしれません。社会の側に合わせているうちは見えなかったものが、「自分を生きる」と決意することで、また先生の音で愛を経験することで見えてきたのだと考えます。

内面が自分一人ではどうにもならない方法で澄んでいきます。たかみ「むす」ひのかみ、ものごとを興し繁茂させるちからと、「愛(え)」を経験させていただきありがとうございます。5年後、10年後、20年後、30年後、40年後、そのあとも、生きる力の種を今得ています。

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