KEIKO KOMA Webサロン

みんなで


人魚か、魚か、水の中の生物にでもなってしまったかのような体感を得る琵琶湖コンサートの尊い経験。「見ていただきたい」と仰るお言葉に、その美しさに身を浸そうと足を運んだ新作の展示。人の集まる熱気に最後の一枚となったカットソーの輝き、ハンガーの部分があっちの手に取られこっちの手に取られするのを目で追い、「ぜひともこの我が身を共にしたい衣服です」と目を見開き、どなたの手も離れた瞬間に瞬時にこちらへと引き寄せ、うっとりとする。目も覚める青の空にも似た、海にも似た、マーブリング。工房で染められたものだと知りながらも琵琶湖畔で出会ったこともあり自分の中では琵琶湖コンサートの音、空間、秩序とひとつであると感じ、自分の未来の姿を感じ、震え止まらず、喜び溢れる経験です。いだき講座で調べていただいた自分のお金の使い方「だいたいこんなものかな、というところに使う」をこうして新しい経験を積みながら払拭していくのだと考えました。

京都コンサートでは治療中の左下の奥歯が痛み、まるで行くタイミングでない時にトイレへ行くような間の悪さだなと、必要なときは必要なタイミングで抗生物質を取り入れておくことも大切と悔しい思いをしました。

高麗恵子さんから書いていただいた生命の詩

生命輝く世界をみんなと生命ひとつに生き 広げ

次世代が生きられる 明るい未来を創っていく

どう見ても考えても一筋縄ではいかない道を、何度でも、何度でも、周囲と繋がろうと、みんなとともに生きようと、挑んで挑んで、転んでも何度でも何度でも立ち上がって、変容していく女性の姿をもう10年以上見ている。途中でふてくされてしまって、身近なものに流されて、言い訳をしては、甘えてくる弱い面を見せてくれる人もいる。どちらも自分の中にある面なのだろう。怖い(と錯覚している場合が多いが)という嫌なリアルな感触を、心という範囲を超えて、直接に経験するようにもなる。でもそれを超えればあっという間に新しい自分となる。何度でも立ち上がって強く生きていく、厳しい中を何度も何度も挑戦する、自分の選択をちゃんと認め、信じる。そちらを選んで勇気をもって生きていくことを決める。「みんなで」というところにやたらと納得する。最初のアントレプレナーコースを終えて、一般の講座に出るようになったとたん、もういやだと思っていたことも、全員ではないだろうけれど自分の引き継いだご先祖様とか家系的に、社会の中で人と交わり健全に交際することを断たれやすい因子のあったということも、今わかる。余儀なくされた未熟さを終える機会を、尊い機会を、歴史の中で初めて、頂戴したのだ。そしてその後も世も人生もは甘くはない。それでも、人と関わり、強く生きる。

いだき講座を受講したときのことが自ずと蘇る機会に恵まれます。これで私は生きられる糧と真の要と出会えたと確信したし、あの貧しい地元をいつか豊かにしていけるとも感じた。資本家と労働者という階級があり、どう足掻いてもその二つは相いれないし、仲良くもなれないということに小さい頃から絶望を感じていた。なんとかうまくやれないものなのだろうかと、子どもながらに毎日のように考えていた。トップの気持ちは下にはわからないから、襲撃されたり恨まれたりすることが解せないのだ。そう思っている時点で自分も、そのループの中に取り込まれ、人の中に因子や癖があり、それが現実を引き寄せているという考えには至らなかった。あの貧しい地元には無いものを沢山学び、この地球上に無い未来を学び、「お金持ちになる」と言葉になった。その後お金持ちにも色々いて、お金持ちなら良いわけではないことも経験しながらわかった。私は馬鹿だったので、あとは貧しすぎたので、「お金持ち」という言葉により出来なかったけど、それはもっと深く、明るく、豊かな未来を創る存在を指していた。あの卑屈で、中身がなくカスカスで、未熟で、ズル賢い、まるで自分のような性格の場所を、100年後には豊かで明るい土地にすると願い涙した。それが世界へ伝搬する、そのために自分はいだきと出会い、未来へ通ずると予感せずにはいられない。

あきらめない、ふてくされない、けなげに、やる。続ける。それだけである日ふと、本音と真を中心に成長した心が、魂を変容させ、新しい出会いへと繋ぐ。

尊い11月の経験と、12月のはじめ、講座の2日目を、本当にありがとうございます。

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結工房にて 新五女山アイスコーヒー
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高麗恵子ギャラリーにて
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「高句麗伝説」第7弾