ぶち破れたもの
先生のメッセージは聴いても聴いても覚えこめるものではありませんが、今日のメッセージは1部も2部も予想などできるメッセージでは到底ありませんでした。ぶちやぶると聴こえたような気がしましたが、、
隠しごとから足を洗ってみても、洗いきれたものではないとわかった1部の後半、明らかに体の反応が大きくなり、恐ろしいまでの反応は、黒く開いたブラックホールのような穴に、閉じ込めたものがぶち込まれたかのような凄まじいエネルギーでした。1部が終わったときには放心し、直ぐには席を立ちたくないほどでした。
2部では、正しいという言葉がずっとありました。何をもって正しいとわかり、言えるのか、考えながらいました。
先生の演奏が光の束になったと感じてから、いつ終わるのかわからないほどの光のなかで、突然自分の老後に対する思いがぶち破れました。
やきとり店をやれているうちは生活していけるけど、いつか店がやれなくなったらという思いは常にあり、その時は家がある実家に帰って生活するしかないのかな…と。
そんな思いはぶち破れ、光の先にはときめきがありました。老後なんて、怠けているだけ。限界なく生きていく。ときめくのは閉じて迎える老後なんかではなく、際限なくときめきながら限界なく生きること、そこに向かうのは本当にやりたいことがあるのならやり続けていけばいい。そのプロセスは正しいといえるのかも知れない。
コンサートの一回一回の経験はあらゆる感動を超え、現実になっていけます。
今日もコンサートをありがとうございます。