はたらき続けてくださる善の神
第一部「潮時」
万葉集に額田王が詠んだとされる次のような歌があります。
「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な」
現代語に訳すと「熟田津で舟に乗ろうと月を待っていたら、
潮の具合が良くなってきた さあ今こそ漕ぎ出しましょう」
「潮時」とは、元々は潮の満ち引きが起こる時間のことでした。
何かをするのに最適な頃合いをあらわします。
現在、様々な事柄に、ビジネス、生活全般、それぞれの国々の
頃合いが満ちている時なのです。
しかし、そのように活かしている様に見うけられないのではないでしょうか。
本来の「潮時」という意味では時が満ちているにもかかわらず。
「潮時」という言葉の意味を問うた調査があります。
なんと7割の方達は本来の意味とはまるで反対の意味として理解し
使っているということです。
何かから引退するとか、ネガティブに身を引く、などの意味にとらえている
ということです。頭の中がこういうことになっていたら、
内面がどうの、愛がどうのといっても、何ら意欲も意志も生まれないでしょう。
自然や宇宙全体にはたらきかけ 時が満ちているにもかかわらず。
ネガティブな意味に理解されている「潮時」を本来の「潮時」に変えて、
未来に向けて「好機」という意味の「潮時」を活かさなければいけません。
第二部「善の愛」
「愛」の前にあえて「善」を置いて真の愛をあらわします。
第一部であらわした「潮時」と同様に、今様の愛という表現、あるいは行動に
寒々とした感を抱くのは私だけでしょうか。
愛に傷つき悩み、時により病気のもとになり、悪に利用されるということもあります。
善の神が顕れはたらいている時代です。
「善と愛」を切り離すことはできないのです。
8月のスタートの今日は、コンサートがあることで今後の方向が決まると考え、楽しみにしていました。シリア大使とお会いし、シリア、ガザのことや歪んだ報道をしているメデイアの事をお聞きし、現代はハイブリッド戦争とのことを様々な事例でお聞きすると、真に真実か否かを見極めていける感性が必要と痛切に感じました。起こっている現実のあまりに酷い事、悲しいことにやり場のない気持ちになりますが、先生のコンサートが抜け出し口ということも甚くわかります。私達はコンサートを経験できますので、幸せです。一部のメッセージ「潮時」については書かれている通りです。好機であるのに、引退や身を引くという頭になっていれば、本来の意味と反対であるので、内面や愛といっても何もやる気が起きないでしょうとはうなずきます。演奏からはおおいなる存在あらわれ、無限な働きかけ注がれている今の時が見えました。この時を好機と言わずに何時好機というのかということがよくわかりました。激しく強い演奏からは、神々も国創りの魂もあらゆる存在がはたらいてくださっているのが見えます。これだけのはたらきかけを受け止めずに生きていることの愚かさも身に染み情けないと感じます。今が好機であると感じます。
第2部「善の愛」も、メッセージのお言葉がそのままにわかります。愛により時に病気のもとになり、悪に利用されるということもあるとのメッセージは現実を見ればそのままわかります。演奏をお聴きし、善の神と融合してこそ愛であると感じました。「善の神が顕れはたらいている今です」とのメッセージがそのまま見え、善の神がはたらいてくださっていると考え、感じると、内が澄み、一人一人が成長できる愛の空間が見えます。今までがいかに異常であるか、愛がないかがよくわかります。愛に生きてこそ人間の人生です。ラストの愛の演奏には感動と涙よりありません。アンコールでも愛を経験でき、真の愛を体感できました。この経験なくしては人間として生きていけないと身にしみわかりました。これからはここから生きていく時代です。外れてなど生きていけないと生命をもってわかりました。良いスタートを切ることができ、ありがとうございます。