はじまりの日
昨日のいだきはじまりの日のコンサートに身を置けましたこと、誠に有難うございました。
昨日は、フレックスで午前中働き、午後から別用あり一度家に帰宅してから会場に向かおうと考えていたのですが、何かあってはいけないのでそのまま会場に直行しました。
午後までは小春日和、午後からは冬に逆戻りしたような天候で、ある意味始まりの日らしいかなと感じました。
会場の席に身を置くとしばらくして体の力が抜けたのか、眠気が来、第一部の高麗さんのメッセージも朧気でしたが、私にとって希望に満ちたメッセージであることは分かりました。
40年前にいだきを始めていただきまして有難うございます。
40年前の3月2日は、私は高校2年生でした。ファッションと洋楽が大好きで、おこずかいをDCブランドとレコードや雑誌につぎ込んでいました(お金の使い方は受講して、おかげ様で貯められるようになりましたw)。将来は国際関連の仕事に就くんだと英語に力を入れていた高校に進学し、英語はそれこそスポンジに水が吸収するごとく上達し、とにかく希望に燃えていた時期でした。
しかし、これはずっと昔に先生との面談での流れで表現させていただいたのですが、英語含めかなり教育関連で父母は私に投資をしてくれたのに対し、今現在全くと言ってよいほど活かされておらず、父母共に他界した今は、40年前が懐かしいのと申し訳ないのと半々な境地です。
高麗さんのWEBサロンの書き込みで、「お亡くなりになった方の霊魂を身にうけ」の文言を拝見し、ふと私の身内かなと感じました。
私もそうですが、とかく私の両親の家系は生きる目的というか意味を見失いがちな家系通しで、こと母方の弟、母、父、弟の最後はそうでした。
今から、これから。
愛はこれから、これからの生きる力。
1部も2部も有難うございます。
今の職場は20代が圧倒的に多く、私もややもすると、さっさと私のスキルを若い層に伝授して後はさようなら、的な感じを受けるのですが、先日の京都応用コースで先生がおっしゃった世界中のデータを壊していくこれからの人間になればいい訳です。
本日、3月3日は当初新潟に帰省する予定でした。
しかし先日、母方の祖母が私が誕生した時のお祝いのお雛様を東京に運ぶべく宅急便で送り本日到着しました。
お雛様の入った箱を見た時はあまりにも嬉しくて中をちゃんと点検しないまま宅急便の箱に入れたため、到着したときに割れていないか。もしそうなっていたら自己責任と腹をくくりましたが、無傷でした。
今回のお雛様もそうでしたが、なぜか成人式に着た振袖をはじまりの日に着たいと思い出し、実際コンサートに着ていきました。
何がいいたいのかといいますと、自分にとって大切なものは向こうからメッセージが来ると感じました。
この場を汚してしまうかもしれませんが、仕事も経済も大切な人も呼び寄せる(メッセージが来る)自分になればよいと考えました。
明後日のアントレプレヌールサロンが楽しみです。
有難うございます。