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なくしてはいけないものもある


新宿駅のロッカーにしこたま荷物を詰め込むと東府中へ向かった。受講生さんの笑顔の挨拶に心の中が洗われた気持ちがする。世代で人を分けてはいけないと習った気がするけど、同世代の方が一生懸命コンサートへ足を運んでいらっしゃると嬉しい。本音を話せるように鍛えたい、鍛える、という本音が心底生まれる。それほど時間に余裕のない飛行機に乗ったので、会場へ遅刻しないようにと地元を出るときから気合いが入っていた。

「ハッキリと自己主張をしないと、いくらでも平気で被さってくるんだね。」と言葉を返したくなる都会の混雑の中で、自分に集中する。小学校の時に一つ、自分のやった失敗をクラスメイトの男子のせいにしたことのある私が言えることではないと承知しているけど、ハッキリと自己主張をしないといくらでもこちらが悪いとしてくる空気に、研ぎ澄ましておかなくては、と中途半端な笑顔を止める。言わなくてもわかれよ、と思うのは私が未熟な田舎の人だからだったんだとは、もうずっと前から知っている。

無くしてはいけないもの。田舎者だから。都会の人々のようになりたい。〇〇さんのように。上京してからそのように考えることがもちろん毎日のことだった。そういう在り方はあまりに当然のことになりすぎていて自覚もない。

しかし、成長することは大事だけど、なくしてはいけない、もともと持っている大切なものもあるよ、と伝えられて第一部の演奏は終わった。なくしてはいけないものの存在。自分の中にある良いものはなくしてはいけないし、それを出していかないと、人とも仲良くなれないのは当然のことだけど、その存在をまずなかったことにしようとしているので、自明の理で人とも仲良くなれない。すごく自然に話をしている人の姿が見えるけど、私にはいまあれができない。

第二部の演奏中は「疎外」にも似た体の苦しみを感じました。これまでの体にこれからの体が入りきらずに苦しんで軋む。自分の皮を脱いで変態して成長していくのかもしれない。社会の中で痛みを感じるほどの自己疎外に陥っているわけじゃなくても、魂のサイズが大きくなっていくときには似た苦しみを抱く。しっかりと聞こうと背筋を伸ばす。

最近よくある。ピアノやパイプオルガンに向かい演奏する先生が縦揺れして見える。そこから空間にヒビが入り、善性が全宇宙の空間に影響を与えているように見える。光の板が何枚も延びていく。

外へ出るとまるであの頃なのだ。今、空間自体がまるまる、昔捨てざるを得なかった愛、優しさに満ちている。こちらが本当の人間だったんだ。あの頃培ったものは、生きていくために捨てなければならないと信じていたものだ。父も母も、、生きるためには必死だったと思う。あの頃捨てた『子供の心』が成長できないままに語り掛けてくる。捨てないで、とアピールしてくる。生きにくいなんて言ってはいられない、全てを受け入れてこその自律である。風を感じていたい駅のホーム、子供のような動物のような少し甘えた生き物はいつまでも私の傍にいた。

東府中のコンサートをありがとうございました。

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