どのような状況であってもはるか彼方で生きる
はるか彼方の中心で生きる生命となり、今までのように出かける前は、気持ちよく出ていけるようにと備え、出かけました。自分では注意深く動いているつもりでしたが、狭い道で車とすれ違うことも多い日でした。いつもはすれ違うことがなく、順調です。すぐに寄せてくださり、ありがたいと感じていましたが、いずれのドライバーも怒った顔をしていることが気になりました。報道陣でいっぱいの赤坂御所の前を通り、ラジオの収録スタジオに行きました。よく知っている道ですが、間違いました。が、はるか彼方の中心で生きていると勘で走ることができ、無事に行き着きました。いつになく駐車場が満車で、他の駐車場を探し、入ろうとしましたが、見た目に精神が病んでいるような女性によりふさがれ、困りながらもなんとか車を止め、ぎりぎり収録に間に合いました。帰りに駐車場に入ると、影に明らかに変な男の人がいて驚きました。この時もはるか彼方の中心でありましたので、動じずに冷静に判断し、無事に車を出せました。いつにない巡りはどのようなメッセージであるかと考えました。幸いにも今までのように時間に追われ、苛つくことも不安になることもなく、常に心は平静であり、全体が見える状態でありましたので、難なく通りすぎることができました。これからは何処であってもどのような状況であってもはるか彼方の中心で生きていくことが生き延びていけることとよくわかります。経験は表現してこそ活かされていくとわかっていますので、今日はビデオ講演会サロンを開催させていただきました。ご参加者の表現により見えることも多く、気づくことも多く、閃くことも多いです。今後のコンサートを満席にしていくことが生きることでありますので、この勢いで向かって行ければ良いと考えます。高麗屋を出る時も目の前にパトカーや警察官が大勢いて驚きました。路上喧嘩と聞きました。外は荒れています。助けを求めているメッセージとしか考えられません。昨日の「高句麗伝説」では真の自分が現れたと感じています。もう戻ることはあり得ないのです。戻れば、落ちるだけです。それはどなた様も同様と感じています。笑美ちゃんが撮影してくれた私の写真を見た時、遠目でしたが、「真の私」と思わず表現していたのです。内面深くを辿り、ずっと前にこの人を見たと感じたのです。いつかと辿ってもいつかは思い出せませんでしたが、子供の頃にこの姿を見たという感覚がありました。昨日は新しい人生のスタートと考え、一番好きな着物を着させていただきました。見た瞬間に真の自分と感じた着物です。はるか彼方の中心である時、思い出せば、先生に出会い、母の体内に発生した瞬間の光を取り戻した時と同じと気づきました。先生のピアノを聴かせていただきながら、自分の身がないように感じるほど、軽く、大空を飛べると感じる程軽やかで自由でした。真の自分で生きれば、はるか彼方の中心で生きていけることをわかり、喜びあふれました。やっとこの世で真の自分を100%実現できる時が来ました。世界は変わると見えます。街に出れば生命の悲鳴が聞こえる今、経験したことを表現し、多くの方々にお伝えできますようにはたらきます。一人一人がはる彼方で生きることで空間が変わりますので、生きていてもしょうがない空気を変えていくのは、一人一人の生き方と行き着きます。荒んだ空気の中でも素晴らしい経験をさせていただいた人と集い、語り合える場がありますことは真に恵まれています。これからは連帯力で多くの人に先生のコンサートをお伝えできますようにと望みます。ありがとうございます。