ときめくほうで生きる
当日演奏された先生ご自身が音を編集され、講座でお話下さいましたが、高麗さんのお父様が登場された詩の体感は、会場に響き渡る喝采の体感でした。
昨日の聴く会では深く静かに浸透する体感でした。11月1日を経て、多くの魂が既に次に向かっている事を感じました。
好太王様の「荒野に眠る」の詩の時は、今日も喉がつらくなり、息ができないほど胸が詰まっている体感の時は、表現してない事がある事を何度も経験しております。
何年も前に、八坂のギャラリーカフェ高麗の二階に伺うと、青いマーブリングに染められた色紙に「好太王 光」と書かれた書が胸に飛び込み、釘づけになりました。きっと誰もが欲しい書だから、直ぐに無くなると感じていましたが、しばらく誰も手に取られなかったので、手にとると、もう元の場所に置くことは考えられず、畏れ多くも寄付させて戴きました。
憧れを超えたこい焦がれてやまない人だったと感じます。
先生がコンサートにて「いのちの始まりの光」を表現して下さり、隠れて生きるのではなく、生まれ持っての資質、真を顕してこそ、元気で生きていられる今、魂を眠らせたままにせず、表現を怠らず、子供たちが希望もてる社会の実現に向かいます。
富山のカールバーンさんに、エチオピアのコンサートにも参加した受講生が訪れ、IDAKIの繋がりとの再会に涙しておられたと伺いました。
当時、何が本当かわからなくなっていた状態も、時が経ち、何が偽物だったかわかり、魂が先生と高麗さんを求めて、ざわざわしていると感じます。
御伝えして26日の京都のコンサートに向かいます。
日々ありがとうございます。どうぞ宜しくお願い致します。