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つくって行く側


今日はコンサート前に3度も高麗さんにお会いしました。
3度目に流石に自分の態度は 横柄なんだ と気付かされました。
自分では緊張してへり下ってるつもりが、とんでもないのでした。

コンサート中、母方の女系先祖は 人に仕えたこと無かったのかもと感じました。
かといって身分が高いわけではなく、低いまま、ぶーたれて 文句言いながら、人の言うこと聞かない扱いにくい下々の者をやっていたのです。(たぶん)。
これじゃ 高麗さんのことも先生のこともわかるわけがないと納得しました。
国が生まれる前の太古の昔は 女性のパラダイスがあったと思いますが。他所から攻められ、共同体を守らなければならない時代になった時、大きく社会を作ることは男に任せて、自分はやらないでぶーたれて生きてきたなら、つくる側にいたことがないなら、つくる側のことを理解することはできないのでした。
先生のことも。何かしていただくばかりの人間に、先生のことをわかるわけがないのでした。畏れ多いなどと、口では言っても、口先だけじゃないのと自分に問うと、恥ずかしいばかりです。
つくっていくということ、何も学んでないただの餓鬼おばさん。
それでもありがたいことにコンサートの場に入れて下さり 
受け入れてくださり、、、
胸の奥から あ の音なのか 源の音なのか どんどん湧くように流れ来て 
先生は人類の生命の心臓のよう 。
自分はこの大宇宙の一つの細胞としてありたい、
真っ当な細胞の一つでありたい。

造化三神のおはたらき そのもののような
コンサート  
このおはたらきと一つで、真っ只中でありたい 
存在としての いのち 人間 個々。

不思議な琵琶湖 太古の湖、体験を ありがとうございます。
コンサート体験を 現実で実現していかないと身につきません.
つくる側の体験をしていきます。
ありがとうございます。

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浜松心模様作品展 Crametにて
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