ただただありがとうございました。
びわ湖、そして京都での高句麗伝説真にありがとうございました。びわ湖ホールでの高句麗伝説は狛江で経験させて頂いてまだそんなに経っていないのに、当たり前ですが、想像もできない経験したことも感じたこともない空間に身を置いる感じでした。王様の詩もまるで違いました。感じたことを書こうにもあまりにも次元が違い、どう書いたら良いのかわかりませんでした。そして、久しぶりの京都文化芸術会館での高句麗伝説を迎えドキドキしながら会場に向かいました。京都での高句麗伝説はまた、昨日とはまるで違う高句麗伝説で、王様の詩も違い、紐解かれて行く歴史も違うことを感じました。感動のお父様の詩の後、二度目のアンコールにて高麗さんが五女山の詩を読んでくださり、「出会えて良かったね。ここに集えてよかったね。」の詩に涙溢れ、先生の最後の演奏に拍手する手を止めることができなかったです。そしてこの場にみんなでずっといたいと感じました。このような経験の場にいさせて頂き、感謝よりありません。高句麗伝説は世界中の方に経験して頂きたい歴史的コンサートと感じます。
車で一晩かけ、帰宅し、応用コースは仕事を早く終わらせて配信で聞かせて頂きました。昨日の経験からも、ビデオ講演会の高麗さんのお話からもそして応用コースでの先生のお話からも本当にゴミやいらないものは毎日毒を出すように書いて書いて書きまくり、何もない状態で先生と一つに生きること。それよりないのだと感じます。コンサートを経験させて頂けば頂くほど、ちょっと雑念ぽくなると元気がなくなり、頭が働かなくなり、動きが鈍くなります。ビデオ講演会を聞かせて頂き、余計なことを紙に書きまくっていくと余計なものがなくなりどんどん動けるようになります。心に何もない状態が一番元気で頭が働き、動いていけること身にしみます。本当に先生と一つで生きるようにならないと生きていけないと感じる今日です。芸を身につけるように24時間いだきで生きることを身につける年の始まりの高句麗伝説、応用コース、ビデオ講演会を真にありがとうございます。