たえまない光
迎賓館コンサートのライヴをありがとうございます。
一部は、光と悲しみが交差するなかで、今とこれからをずっと考えていました。今ある社会ではなく、命のことが最も大事と内から込み上げてきます。コロナに感染しないように気を使う心配から、家族とずっと会えない悲しみは、子供の頃に戻ります。昔、母の体が弱かったので、入院など何回かしたため、幼い頃親戚に預けられ、妹を母のもとから離れている悲しみを和らげてあげようと自分なりに妹を気遣いました。10才で始めた習い事は、その後ずっと私の人生と共にあり続けましたが、妹はいつもどんなときも応援をしてくれ、共にいてくれたことがずっと深く心のなかにありました。これから自分はどう生きて、何をすればいいのだろうと絶え間なく浮かんできます。家族の元に帰りたい気持ちと、まだまだ自分は何かをやれるという気持ちが交差しました。今やっている店を頑張るのは当然ですが、もっと他にやれることを探してしまうのです。自然の光が絶え間なく注がれていました。
二部はまるで違う音に始まりは高句麗を感じました。歯切れのよい音の連続が体に響きます。光は流れ、溢れ、部屋のマーブリングカーテンの世界と一緒になります。空と海、グリーンブルーのなかに黄色の光が音と共にありました。ずっとひたすら先生の音をお聴きして、空と海のマーブリングを再び見たとき、黄色のタンポポが光のなかで生命そのまま揺れていました。それまであった自分は、どこで、これから何をしたいのか、何をすればいいのか、そればかりが重要なことと感じていましたが、自然の光のなかで生命のまま揺れているタンポポたちをみたとき、それまでのことは消えていました。どこで、なんて関係ない。生命のまま、どんな状況でも、どんなところでも、風に揺れて、たくましく、可愛らしいタンポポのようにあればいいじゃないと、逞しく、生きて行こうという気持ちにすっかり変わっていました。何をするのかは、頭の中にはないことを。
これから仕事に行ってきます。今日は東京は暑いので、ビールが出るような気候です。
迎賓館のコンサートで絶え間ない光をありがとうございました。