そんなに簡単に言葉にしてしまって良いのか、とためらう時
そんなに簡単に言葉にしてしまって良いのか、とためらう時
↑こんなとき
単純に「大切なことほど口には出さずにしまっておくべきもの」という謎の古い価値観が影響してのことなのか
そうではなくて本当の自分がそう感じていて、ちゃんと肝から「コトバ」になるのを待っているのか
とにかくとても美しいものが降りてきて自分も一体となる経験をした。
わたしは小さいときずいぶん、「言ったらおかしいと思われること」を言って、そのときに周りからおかしいと言われたので、逆に周りの反応を、学習した。自分も同じようにすれば、「大人になった」ということだ。大人になるとは周りの大人のようにすることだと。
「え?何いってるの?」「痛い子と会っちゃったよ・・・」「そっち系ではないんだよなあ。」
そんなふうに振る舞えば私も「社会の側」だと思ったので、完全に振る舞いを身に付けた。そのことが感受性の良い人たちを潰していくと考えることはなかった。でもその完全は「つもり」だったから、今こうして剥がれ墜ちていく。
社会に合わせるのではなく自分を知らないと、これから生きていけないので、ずいぶん自分に問い合わせをしています。
自分でない人間を演じてきたので、昨日のような経験をコトバにしようとしても、まずは薄っぺらい、まるで課題の提出期限に間に合わせるために書くかのようなその場を間に合わせたコトバしか出てこず全く掘り下げていけない自分に出会いました。
渋谷で見る高天原は澄んでいながらたいへん雅やかで華やかで、たいへん懐かしく新しく美しかったです。