ずれ
シリアの上映会、コンサートで自分はどうするということをすっと考えていました。大使夫妻のすぐ後ろにいました。今までの自分勝手な純粋でない生き方が自分のずれとしてわかります。すべては自分でしていること、誰のせいでもないのです。どこか二つの自分がいるように感じていたこと、それがど真ん中からずれていたのがみえるようにわかってきました。ぶら下がりが純粋な魂をくるしめていることにも気づかずに。それが自分の中で一つになっていくような。高麗さんが見ておられる満月を私も見ているのです。
ギリギリにしたのは誰のせいでもないのです。それでも先生と生きて行ける幸せをありがとうございます。
明日の応用コースで生まれ変わります。そして来年のロームシアターコンサートからは火の鳥のように新しく生きることを誓います。