KEIKO KOMA Webサロン

ずっと先に行っていた友にいだきの光を


朝11時までに着かないと友の顔姿今生の生の名残に触れないと分かりその刹那向かうと決め、迎賓館の余韻のまま夜行で会津若松へ、そして会津坂下に行き友に会いました。連絡とれなくなっていたとはいえまさかこの母の縁の東北に暮らし両親4人の介護を10数年わたりする最中も震災後の心のケアに携わり子どもたち地域の方々の中で朗読会をされていたとは告別式の会場にそっと伺え漸くご家族のご厚意でお話を聞けわかったことですがもっと早くいだきしん先生と出会える何かなかったのか考えるとこの世的には接点はなかったとしても時空越えたところで考えると正に怠けていた、自身に突き当たります。10数年に亘る四人(折角介護保険制度あってもやはり)の介護を「見送り」という結果で終え、いざしたいことをするぞと考えた矢先、とは一年前ですが気づいたらもう治療不可という状態であったとのことでしたが、コーヒーもCDもお断りされた年末、兎に角自分がずっと助ける側にいた人で、庇われたり助けられたりが嫌、弱っているところを家族にも見せたくない人でした。今日聞いた所では皆が困らないようにむくんで書けないと言いつつも亡くなる前の日まで遺影のデジタルデータの記号と番号をノートに書き記し、死後の段取りと夫にはタンスの収納まで記しNPOや朗読会の一人一人に言葉残していたとのことでした。
京都にて「死について」の中でピアノを先生が弾かれた経緯を漏れ聞き益々こんな真っ直ぐな純粋な自分抜きで人のことより考えない人が亡くなったことに申し訳なく、18歳の時に同じクラスでであってより2年の間ずっと叱咤激励されていたこと、四年になりキャンパスで殺された人の遺影掲げ果敢に新入生に語りかけいのちの中心からこんな体制を変えないとといっていたことを思い、先生に繋がってと心の底から願いました。何かにつけて形あるものに集約してしまい勝ちな心性残る私ですがいだきしん先生に高麗さんのお陰でお会いできお二人の存在によりされ続けていることにより変わってこられたのです。まさしく、今今を真っ当にと考えます。いだきしん先生、高麗恵子様、真にありがとうございます。

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