KEIKO KOMA Webサロン

すべてのはじまり


2日連続先生のコンサートを経験させていただけます幸せに心より感謝し書き込みさせていただきます。

 

第一部「アルケー」

「生命の「生」は、「生」を担い、支え、活性化し、駆り立てるものから思考されます。{ジャック.デリダ}この時に「生」が活性化したり増大する場合に、何が増大するのかというのがなければいけません。即ち、「生」の本質から出発しなければいけない、その根拠とか出発のことを「アルケー」と云います。我々はある究極への探求と経験を経て、今日を迎えました。このことがそのまま「アルケー」というには正しくはないですが、「生」の価値という意味では、そこから本質的に何かがはじまるという意味で、「アルケー」という言葉を使います。」

第2部「究極の愛からのはじまり」

「究極的な愛が、原初といえばむかしむかしのことなので、今は原初とはいえませんが、究極であることを皆さんで経験、体験したがゆえに今が原初と同様に考えていいです。なかなか究極の愛といっても目の前のゴールのテープを切れないままで倒れ込んでいる方もいらっしゃるかもしれません。今日はじめての方はなかなかゴールが見えないかもしれません。ゆえに何度もしつこく今日だけではなく、皆さんに伝わるようにコンサートは続けて参ります。ゴールのテープを切って休んでいる間はありません。世界の中の大切な一員です。」

ピアノ演奏からもパイプオルガン演奏からも、全ての芯になるものが見えました。パイプオルガンからは神々の変遷の歴史物語を見せていただいているようでした。時代が変わり、神々への認識がどんなに変わっても、変わらない普遍的なある何かがずっとあり続ける演奏に、普遍的なある何かを体でわかる経験をさせていただきました。何かに使われていくと、上がったり、下がったりを繰り返しますが、普遍的なことはずっと変わらずに存在することにここでなら永遠に生きていける安らぎを感じます。大きなやすらぎを得、心は平穏でした。「生」を活性化するものは、普遍的な在る何かであると考えます。ずっと変わらずにあり続ける存在が生きる支えであり、最も元気になる源です。活力の源を表現していただき、とても生命が癒され、力が湧いてきました。今日も、先生があらわると、皆が幸せに生きていけると誰にともなく心の中で言い続けました。先生を中心に生きていけば皆が幸せに生きれる光景もよく見えました。昨夜、ロシアから来たメールを見、ぞっとしました。ネオナチはなくならないので、殺害よりないという表現に、本気で言っているのかと呆れました。殺害よりない答えが人間の社会であり得るのかと、あり得ないことがまかり通る世の中は変えるよりないのです。人間とし真っ当な感性を取り戻していかねば人類に先はないと甚く感じます。先生があらわる世の中であれば、こんなことなど起こり得ようがないと誰にともなく訴えてしまいます。コンサートで経験させていただくことは人間とし最も平穏でやすらかであり、正に究極の愛なのです。この経験は必ず平和な世界を作るとわかります。

第2部でも、神々があらわれ、おおいなる存在があらわれ、俗世とは無縁な世界で生きる真の生命を体感させていただきました。神聖なる世界で生きることが人間であるとわかります。ラストでは何もない感覚に驚きました。いつも先生のコンサートでは何もないことを経験させていただきますが、今日の経験は本当に何もないと感じ、大変驚きました。何もないと言葉にした時、「しん」と表現していました。「いだきしん」と続いて表現した瞬間、心の中で一人で歓声をあげていました。究極の愛は先生であり、すべてのはじまりは先生であると叫んでいました。凄いと感激し、ここからはじまることがうれしくてなりませんでした。いだきの時代であります。素晴らしい時代が幕明けました。人間とし生きていける時代です。ありがとうございます。

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