KEIKO KOMA Webサロン

すごくびっくりしました。


先生、高麗さん、受講生のみなさまこんにちは。オンラインショップの告知から、東北の高句麗伝説コンサートのところに赤で「講演中止」と表示されており、知り、とてもとても驚きました。

高麗さんの書き込みにも、ちょうどありました「知らずに良いと思い行ってきたことも、・・・」というフレーズ。昨日私も、ちょうど同じことを想いました。良いことと思い込んで、実行したことが、実は邪魔になっていたこと、愛を傷つけていたこと。そうとわかっていたらやらなかったのに・・・!(自分も本当は、やらねばならないと思い込んでいただけで、苦しかったし、本当はやりたいわけではなかった)ということなど。戦争をしている人も、良いと思い込んで、そうに違いない、やらねばならぬのだと思い込んでしているのかもしれない。同じように、人は鏡で、「あー、こういうとこがなければ、この人は付き合いやすいんだがなぁ」なんて偉そうに鏡に映ったその相手に感じるとき、もしかするとその相手もそれを良いと信じて、信じ込んでしているに過ぎないのでは。そうであれば、この思い込みが、するすると新しい愛により外れていけば、本人も楽になるし、みんな幸せになるよと。

息子と接する中でも、毎日気付きがあります。例えば、助け合わなかったり、独り占めしたり、あとは自分の生きてきたかつての時代に当たり前であった、「出来ない人は、出来ないのだから邪魔になるだけ。」という優劣の付け方。自分などはそこに落ちないために必死になって「出来ない人」ではないようにふるまおうとし、頑張り、上辺だけになり、人間でないようになってしまった経験を持ちましたが、これらの価値観が完全に過去のものであると感じます。先生がどこかで「家族と接するように仕事はできなかったことに苦しんだ」という意味のことをおっしゃり、高麗さんがうなずいていらっしゃった場面があったと記憶していますが、私も本当にそうでした。でもその時代が、いだきを始めてくださって40年を過ぎて、変わって、新しく生きていけると空間通じわかりました。

WEB環境のあるおかげで、今の自分の枠を超えた人々と、お目にかかりやすい時代であるとも感じるこのごろです。いつでしたでしょうか、1か月くらい前でしょうか、あるときにスゥっと、「もうこういった苦しみは本当にいらないんだな。あっても、得なんてないどころか、迷惑で邪魔でしかないんだな」と認識した心がありました。そうはいっても、、、と、意識してもなかなか棄てられないものとして長年あったものですが、ほんとうに息子を生かすにあたってあってはならない心で、手放す気になったのです。それは「自分なんてダメだ」という気持ちです。頭では、成功者が言っている「自己肯定感」の必要性を知っていても、一粒でもその心が内にあれば、同じような思いが集まってきて、もう、だめだ、だめだとなってしまうのでした。こんなこともありました。ここ数年近しくしていただいている知り合いの男性の「好みのタイプ」が「幸薄そうな美人」だというのです。私のこともそういったカテゴリとして認識していた時期があったんだと衝撃を受けました。幸薄そうというメリットで生きてきてしまった。そんな気持ちを手放し、卒業しよう、と決めたきっかけとしても、まずWEB環境からくる情報であったり出会いであったりもします。もちろん先生と高麗さんがコンサートや高句麗伝説、催しを開催してくださるので、そこから空間変わり伝搬しているのだと・・・すごい時代だと感じます。

高句麗伝説にお誘いしたい方がいて、昨日は深浦へ出かけました。こんなことでもなければ出かけません。深いお話ができました。いつでも自分を未知へ動かすのはいだきであり、いだきのコーヒーです。

息子の写真、どれがいいかなぁと思いましたが、夏に陸奥湾で撮ったものにします。
保育園にある写真で、泥だらけで顔面がタヌキのようなものなど、ほかにもあります。
お世話になって、ご無沙汰していた皆様、失礼いたしました。元気に育っていて、保育園に迎えにいってもお兄さんお姉さんと「もっと遊んでいる」と言う自立系です。太鼓が好きで、良くラップの芯などをバチにして、ドコドコその辺を叩いています。音楽が好きなので、コンサートに参加する日を楽しみにしているのではないかと・・・私のお腹の中から外に出てからは、お留守番ばかりで、先生のコンサートも高句麗伝説もご無沙汰ですから。

いつもありがとうございます。
一日もはやく平和になりますよう

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