KEIKO KOMA Webサロン

しん


第一部「受け継ぐ生命力」

何百何千年の月日を継いで今も我々が目にする縄文の土器。
あのエネルギーは突然一人の陶工によって完成されたとは考えにくいです。
もちろん縄文土器にエネルギーなど感じられない人達がほとんどでしょう。
何百何千年もの時間をかけてつくられた優れた縄文土器に
何の感じられないとすれば、日本に生きる我々は何を源流にして生きているのでしょう。
東北の地に来ると、以上のことが自ずと浮かび現代の危機といわれる状況の
意味合いを生命の側から理解できます。
何千年も外敵に犯されない自然豊かな地の日本列島で、想像を遥かに越えた生命力を
育み養い受け継がれました。一見消えかかっている縄文という文明社会ですが、
こういう時こそ強く甦ってきます。
一人一人に受け継がれた縄文からの生命力を生きてこその現代我々の命です。


第二部「持続、進化する愛」

愛という言葉であらわせる愛は本当に愛なのでしょうか。
愛は極めて本質的であるが故に、ほとんど意味もわからないまま
愛と表現することもできます。
表現することで済ませてしまうことができるという、
何ら中身が無くても便利といえば便利で、危険といえば危険な
愛という言葉です。
一般的に自然界にある生物は、増え続けること、
進化し続けるという持続性がなければ、
この地球という環境では石とか岩のような鉱物になってしまいます。
我々人間は生物の中で最も増え続け進化した結果として今日現在があります。
今回そのことを「持続、進化する愛」というテーマで、
壮大なテーマでまちがいありませんが、
今日とても大事なことなので、縄文の地にてあらわさせていただきます。

今日もコンサート前は心が重くなることがあり、苦しいままにコンサートが始まりましたが、メッセージのダイナミックさを心にとても重要なメッセージをしっかりと受け止めたく聴かせていただきました。現代の人間の考えることなど取るに足りないことと思い知ります。縄文のメッセージを心にし聴かせていただくと、神々と自然のはたらきかけとひとつにある偉大なるエネルギーにより、余計なものは一掃されました。恐れ多い存在に触れさせていただき、始まる前の心の重さや苦しみはなくなりました。はじめは生きていけない苦しみに気が遠くなる感じがありましたが、私には天と地がひっくり返る衝撃があり、一気に上昇していったのです。胸がひらき、大きな世界で生きていける生命を体感しました。真の神との出会いと感じました。

2部は異次元の音をただただ聴くことで精一杯でした。持続、進化とは頭がちゃんとはたらき生きる時に経験できることと感じました。2部も一部と同様に私には余計なものを祓っていただき、一掃していただいている体感でした。幾重にも層になっている覆いが取れると、遥か彼方に通じる光が見えました。言葉によっては表現できないこの上なく聖なる美しい音に身震いした瞬間、「しん」という言葉が生まれました。いだきしん先生の「しん」です。コンサート中も身にしみ感じていましたが、先生のコンサートがあるので生きていけることが生命をもってわかるのでした。先生のコンサートを中止にせざるを得なかったことの苦しみは今になるとより身にしみわかるのです。当時は必死で感じることも押し殺していたのだと気づきます。先生がこの世に存在しているので、私たちは生きていけるのだということがよくわかる経験でした。世界も先生が存在しているので、滅びずにいるとわかります。「しん」と生まれた瞬間、これからは先生のことをわからずには生きていけなくなると見えました。先生のことをわかり、日常を生きてコンサートの一席に身を置かせていただきたいと心から望みました。先生の時代の到来です。先生の時代の幕開けと感じるコンサートでした。6月23日のお誕生日コンサート満席に向かい続け生きていきます。

久しぶりの幻のコグリョカフェも良い経験となりました。皆様の内面を見させていただくと何方様も新しい人生を生きる時を迎えています。コンサートがない期間、何方もとても苦しかったのだとわかります。共に再びコンサートを経験できますことの喜び、幸せに感謝します。コンサートの一席に身をおけますことの幸せを今日もしみじみ感じ、感謝よりありません。尊いコンサートを共に経験でき、ありがとうございます。

明日は結工房で先生が焙煎をしてくださいます。一時半頃からでしょうか。先生が焙煎してくださるコーヒーをいただけますこともまた幸せなことです。お越しをお待ちしています。

ありがとうございます。

 

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打ち寄せる波の音 琵琶湖の畔にて
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NPO高麗 迎賓館にて