しあわせに生きるには
やきとりの個人店を経営している私の旦那さんである親方は、私とは真逆で1分で眠ってしまうことが多く、こちらが眠れないときも寝てくれているので、気を使わずにすんで有難いと思っていましたが、それは相当くたびれているからということなのだと昨日はっきりわかりました。
コロナ禍以前と後では雇用形態がまったく変わり、飲食店のとくに個人店にはアルバイトの募集をかけても人材が来ず、来ても高校生だったり、募集にならず、やっと来てくれても、仕事が出来ないうちから時給だけはコロナ禍前より完全に高い時給になっています。時給が高くなければ今は人は雇えなく、仕事ができない皺寄せは経営者である親方にかかってくるという現状があり、固定費人件費は上がるばかりです。高齢化、若い人がいないということがいかに日本の危機であるのかはコロナ禍で完全にわからされている飲食店です。むだをはぶき、少しでも良い睡眠をとれるようにするにはを考えますが、それにはまず楽しく毎日を暮らしているのかが大きいと感じていました。喧嘩をしたらいつまでも意地をはらず、本音に立ち返ることも大事です。
食べるということは最大の楽しみ、しあわせに関係することも大きいとわかってきます。
基本、基礎、ここが大事です。
自分がどう生きてしあわせになっていきたいのか、ひとりではしあわせにはならない。存在ということを考えます。
体調を崩していますが、京都コンサートに向かうまでに、身体からよけいなむだものは出てしまえという感じがします。
高麗さんがすすめてくださる幸せお菓子をいま宅配便で妹に送りました。
幸せのお裾分けをありがとうございます。