こんなに美しい世界があるんですね
きっと 同じ時を過ごさずに 突然元気いっぱいに訪ねて 一方的な体力と善意で 「みなさんの雪かきをします!」などと企画を実行しても 迷惑がられるだけで、、、
(また都会の人が詐欺をはたらきにきた、くらいに思うものです。)
あの人達が求めているのは決して「やってもらうこと」ではなくて 「わかってもらうこと」な気がする。そしてそれはほかに何の役にも立っていなくても、相手が「同じ立場」であることである程度満たされる。私と同じで自分から「ああしてくれ」「こうしてくれ」とは言わず(言えず?)常日頃 我慢を美徳として生きている。
だからコンサートを重ねて感覚の良くなったわたしは現場へ行くと発狂して叫んでしまう。(多分声が大きいので病気になりにくい。でもいちいち叫んでいたら変な人になってしまう。)
普段我慢しているので、話をすると最初のうちは空気も読み謙虚だが、打ち解けるにつけどんどん本当は身勝手であることが明らかになる。
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なんのことだかわからなくてすみません。昨日は、コンサートをありがとうございました。いままでどの場面でも神と呼べる何かに守られてきたことをわかりました。与えられた手段もすべてお告げのように感じられました。タイトルは最後のアリランに出た言葉です。コンサート後の会場の女性達がみな笑顔でホクホクと美しく私も幸せでした。
内面のことの書き込みは、わたしに関しては今回「(過酷な状況の中)参加したぜぇ、ドーン!」という意識のほうがストレートな表現より勝る気がしたので書き込まなくても良いかなと迷っていました。でも地元で大雪だと家族から連絡を受けて、地元を離れていることに凄まじい罪悪感があり、写真を送ってもらい、そこにわずかにですが滲む不幸な感じをなんとかするために仕事をする(生きる)んだと力が湧いてきて書き込みをしました。
冒頭の文は、父から送ってもらった写真を見て、どうしたら地域の役に立てるんだろうと少し考えたときのメモです。まずは「納税の権利」からしっかりしていきます。
自分を失えば、まわりとの比較でしか自分を幸せに感じることなどなくなります。そんな場所に見えるのは自分の投影であるのか、そうではなく確かにその気があるのか。
別に地元に身を置いていたところで、家族のほうが雪かきも上手いので私の出る幕は現状そんなにないのです。それでも「同じ辛さ(積雪)を体感した者」という冠が与えられる気がします。心のつながりというやつでしょうか。離れていてもそれを得られるように常日頃まわりを考えて生きたいです。
わたしはあの町も、温かく愛あふれるところであるように生きることを望みます。
昨日はまた帰りに道を間違えて住宅街を通りました。コンサート直後ということもあり、三鷹ということもあるでしょう、個別には様々な家がありますが、一件一件が全体的にぬくもりにあふれ、道も街路樹もみな幸せに見えました。自分の地元も、私が子供の頃にはこういう感じだったことがあると懐かしく、少子化が進むに連れて空き家も増え、現在そんなぬくもりのある場が減ってきているかもしれないことを「いつからだろう」と考えました。1日で突然そうなったのではなく、10年、20年、30年、、、とかけてジワジワと、子供の数が減っていったのです。
最近はいわゆる「グリーンの光」というみなさんが大人になってきていて、10年前ですとかみなさんが子供のうちは「なんだかんだで、そんなに変わらないだろう」と思っていたのですが、大人になる姿を見るにつけ「ああ、けっこう、ほんとに違うのね・・・」とわかります。そしていま生まれている子たち、これから生まれる人たちはグリーンの親から生まれ育つのです。もっともっと強くなっていくことでしょう。