この勢い
いだきの内容は伝搬していると分かる最近です。一人一人の在り方が全体の空気となり、企業も問われています。何よりも要となる中心が無いことが問題ですが、そこには触れずこの先もぶれ続けていくのかと暗澹たる思いでいます。コンサート第一部の「女と男」と聞き、直ぐに違和感を覚え何かと考えると、今まで「男女」「男と女」と必ず「男」が先にあったからと分かります。知らない間に刷り込まれていました。そんなことすら笑い話になる時が近いと感じ、宇宙人という響きにときめきます。二部の「才」とお聞きした時も、なぜ才能ではないのだろうと思いました。私の中には才なんてあるわけない、いやそんなことすら考えたこともないと気づきます。先生の覆いがめくられ、祓われ、深奥に光速で向かう先には、一人一人生命を、光生まれ授かった生命があるのなら、同じく一人一人の才があると分かります。涙溢れます。何故私なんかにあるわけがないと思い込んだのでしょうか。潰されたものが、両腕、上半身から先生に向かって勢いよく飛び出し、大きく身体が動きます。もうこの流れは誰にも止められない、揺るがぬ大きな勢い、圧倒的な光の流れと共に、前回のコンサートのメッセージと共に在ることを経験しました。意のまま、心のまま、今の経験そのままの手拍子は、ひとつとなり全世界を、宇宙を駆け巡ります。三鷹駅まで歩く道は、風に乗り颯爽と心地よく、どこまでも歩けそうです。途中、大きなクラクションが鳴り響き驚くと、オートバイと車がぶつかる寸前で、お互いの運転手が道路の真ん中で怒鳴り合っています。信号が青であるのに、どうのこうのと掴みかかる寸前の様子を脇目に、ずんずんと歩く速度は止まりません。何があっても起ころうとも自ずと気づく時代、先に向かい続ける時代です。今日は1月11日に行われた高句麗伝説の上映会サロンに向かいます。東京で開催して頂き、ありがとうございます。応用コース、昨日のコンサート、そして上映会、更にアントレプレヌールサロンと続く留まることない、この日程に感謝します。