KEIKO KOMA Webサロン

この世の春


今日から世の中は変わるとおおいなる喜び、生きる力満ちる素晴らしいコンサートを経験させていただき、目の前が拓かれ、未来は希望です。

第一部「真実は強し」

「普段なかなか考えられないことでしょうが、何か問題が起こる度に、心が折れそうになり、できれば目をふさぎ、目先に起こっていることすら認めようとしないことがあるでしょう。こんな情け無い人の姿はいつからはじまったのでしょう。もしも人間というのがこういう存在であるとすればこの地球上で今まで生き延びてきたにしてはあまりにも自然に反しています。理不尽といえるでしょう。

「饒速日命」のことを御存知でしょうか。これほど謎につつまれるように現在も様々な言い方をされている存在はいないでしょう。宇宙人という説まであります。古代史の中で「饒速日命」の存在がはっきりしなかったが故に、これまで歴史まで改竄されてしまった事実に目をふさがなければいけなかったことがいろいろあったのです。それが今もって影響があり真実が何かということがわかりにくくなってしまっている現在です。「饒速日命」に御登場いただきましょう。」

圧倒されるメッセージを読み進め、最後は「御登場いただきましょう」となり、雷が落ちたような衝撃が走りました。先生でなければ御登場いただけないのです。その場に居合せられるとは夢を見ているようです。第一音から全身全霊でお聴きしました。はるか彼方の光に包まれた音が胸の内に注がれ、一瞬にし涙込み上げます。はるか彼方であり、この地球上にこのはるか彼方に包まれた音が一雫落ちるだけで、地球は変わり、世界は変わることを生命でわかり、胸の奥深くから涙込み上げます。こんなにやさしい世界はなく、こんなに美しい世界はないと生命の深奥から涙が込み上げます。こんなに奥深くからあふれる涙があることを生まれて初めて経験しました。偽りも歪みもひとつもない世界は心地よいばかりです。世の中には、それこそ今の時代は本音と建前があったり、矛盾していることを平気で理屈をこじ付け固めていくような筋の通らない理屈があります。とても気持ちが悪い世の中です。理不尽であり不合理なことがまかり通る世の中です。それらが一切ない世界を初めて経験しました。「真実は強し」とは生命をもって経験できました。「饒速日命の存在がはっきりしなかったが故に、これまで歴史まで改竄されてしまった事実を目をふさがなければいけなかったことがいろいろあったのです」この表現に全てが現れていると感じます。このことにより、筋も通すことも難しく、気持ちが悪いことをするよりないような世の中となってしまったのかと深く納得するのです。今ここで経験しています世界は真よりなく、何も偽らず、誤魔化さず、あるがままに在れることがこんなにも気持ちよく、心地よいものかと感動よりありません。今日から社会の歪みも淀みも誤魔化しも偽りにより塗り固められた様々な形も崩壊しメッキがとれ、あるがままがあらわると見え、うれしくてたまりませんでした。不合理な世の中で生きる苦しみ、悔しさはいつも経験していますが、苦しみ、悔しさから何をしても解決はないことは甚くわかっています。今日のコンサートで経験させていただくこの世界でなら、真は実現すると確かに見え、今日こそが時代の大転換の時と身も心も震えます。真実を前にし、すべては明らかにあらわると見えます。

私の勝手な想像かも知れませんが、琵琶湖での高句麗伝説の詩にて、古代湖琵琶湖の底に沈む歴史の真実のことも思い出しました。北陸の高句麗伝説の時に聞こえた海の底のメッセージも、調べて行くと、宮内庁管轄により誰も調べることができない状況であることも知り、驚きました。私は大地の声、魂の声が聞こえるので、歴史の真実はとても知りたい気持ちが強いです。先生の演奏から饒速日命にお会いできるとは、どのような神であるかの真の存在に触れさせていただけますこの機会がありがたく、夢のようだと畏れ入ります。ピアノとパイプオルガンの演奏により、生命をもって経験させていただきます。この経験が真であれば今まで真とおもってきたことは違うのだとも目が覚めます。真が現れれば、世界は変わります。今日この時に先生が表現してくださったので間違いなく今日から世界は変わると確信を得ました。やっとこの時が来たのですね、とたくさんの魂と共に喜びお祝いするように生命喜びお聴きしました。

第2部「光満つ」

「光満つ。発生する新しいいのち。かつて光満ちるところに社を建て種々様々集まり、統合して皆で生きる道をつくりました。その結果として縁結びの神の名称を得ました。新しいいのちは胎児の頃より多く集まり傷つきながらも誕生し人生という荒野に投げ出されます。胎児の光は縁結びの神ではないが故に多くの問題を解くべく荒野のような世界の中で真実を見出します。光満つる  真実を見極め、さらに光満ち「愛」に目覚めます。」

天から光が降り注がれるようにピアノの音が天から聴こえ、空間も生命も光満ちます。ある時、ふと心配がよぎり、心が曇ります。こんなに心満ち足りた時でさえも、心曇ることかと驚きながらも心満ちているので、今まで気づかなかった曇りや歪みが浮き出てくるのだと受け止めました。人の心配をしていました。生命のはたらきに反することをし、体の具合が悪くなることを心配している自分に気づきました。先生であればどのようにされるのかと考えたり、おおいなる存在は。。。と考えました。人間が真っ当になることより為さらないとは甚くわかります。人間が真っ当になる為に、そうでない時に気づきを与えてくださる機会を心配することはないことに気づき、神の愛に涙しました。その後のパイプオルガンの演奏では、かつて経験したことのない心境となりました。イエスキリストが十字架上で最後の祈りを捧げた気持ちが初めてわかる経験が起こったのです。「彼らをお赦しください。自分がなにをしているかわからないのです」生命の深奥から涙あふれました。まさかこのような気持ちになるとは思いませんでした。生命の深奥に人間の熱き血が流れていることを感じ、やっと人間になれると、涙しました。生命の深奥で涙し、人間の血の流れを感じられた状態が人間であるなら、今まで生きて来た人間と思っている生き物は人間とは言わないのだと目が覚めるように見えました。私にもやっと人間になれる時が来てくれたことに深い感謝の気持ちが湧き出づります。今までの人間はどこまでも自己中心であり、頭が傲慢です。今日の演奏から見え感じたことが人間であるなら、こんなに勝手で傲慢な生き物は滅ぶよりない道を辿っているのだとはっきりと見えました。辛うじて人間が人間であることを取り戻していける生命があることが幸いと胸撫で下ろします。今日から世界も変わり、真実があらわれます。はっきりとそう見えました。真実は生きる力です。真があらわる時を迎え、人間になれる時を迎え、ある時突然夢に見た時が訪れた驚きと喜びでいっぱいです。この世が真あらわる世に変わるのです。この世で、真を表し、真を貫き、真の自分を100%表し実現できるのです。明日も更にコンサートがあるのです。すごいとしか言いようがない凄さです。ありがとうございます。

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結工房に飾ってある額を先生が いい額だね、とおっしゃいました。ピッタリと。。
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京都コンサートホール 大ホールにて
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東京高麗屋にて