大いなる働き共に
朝ベッドのカーテンを開けると、強い一条の光が目に飛び込んできます。別の窓からは日に日に色づく桜の木々。一枚も同じ色の葉はありません。
昨日の応用コースに身を運べたことは私にとっては導きといっても過言ではありません。それほどの意味があったのです。一言では語れませんが、高句麗伝説と京都コンサートの意味を、もっと言えば今とこれからを生きていく意味を、先生の言葉で生に聞くことで生命はすっかり変わったのです。
ここ最近は以前のような運の良さで何とかなっていたことが、することなすこと思い通りにはいかないことの連続でした。正直後がない思いでした。自分が答えは出ず応用コース向かいながらも、気持ちはどうしてもマイナス思考になってしまいます。ピコピコとランプが点灯しているウルトラマンのような気分でした。
ですが、三鷹コンサートへも身を運び、高句麗伝説にも京都コンサートホールへも身を運ぶことができました。それはいろいろな人の助けがあっての事でしたが、大いなる働きかけがあったとしか思えないのです。先生や高麗さんが命を懸けて….ある意味私も命懸けでした。
そして昨日の応用コース。
今朝高句麗伝説コーヒーを入れたら、体の奥から嗚咽となってこみあげてくるものがある。どんな状況があっても受け入れていくとはっきりとした意志となりました。今まで自分を責めてランプが点灯ていた後のない状況でも最後の瞬間でひっくり返すことができる。何より先生、高麗さんと出会えた命です。することをせずにはまだ死ぬわけにはいかないのです。ウルトラマンなんてまたまた年がばれてしまいます。さっさと怪獣やっつけて、シュワッチと宇宙に。
今日も京都で尊い講座があります。自分は参加できませんがよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。