KEIKO KOMA Webサロン

お誕生日おめでとうございます


いだき先生お誕生日おめでとうございます。
本日のコンサートのことばにもありましたが、今迄にない内側が現れてきて日々驚かされています。
演奏においても内側にうごめく熱いものを感じました。以前よりも感じるものがまったく別物と言葉にしづらいですがそう感じます。未来へのパワーを感じてくださいとあるようよく感じることに努めました。

さて、このウェブサロンについてですが、ただ漠然と書いていてもつまらないし長続きもしないのでテーマを決めて書かせて頂くことを決めました。
全生命、全人類に寄与できる脳をいかにつくってゆくか。それを考え、整理する場として利用させて頂こうかと考えています。
最近睡眠をしっかりとる習慣と共に掃除、整理整頓の習慣が身に付き始めましたが、おそらく部屋だけでなく脳も、最高のパフォーマンスを発揮するためには整理整頓をしてあげた方がよいのだろうな、と思いました。

今は、「楽しい」と「嬉しい」の違いについて考えています。
とあるサッカー選手のインタビュー記事に、「スキルアップできて楽しいと感じるとともに、チームに貢献できて嬉しい」と書かれているのを目にしました。このことをきっかけに考え始めると、自分はここで言う「楽しい」は追求したことがあっても、「嬉しい」は考えてこなかったかもしれないと思うようになりました。
いだき講座において「自分の満足を追求しすぎる因子が生命本来の働きを疎外している」とのご指摘を頂いたこともずうっと引っ掛かっていました。
「嬉しい」という感情を理解したいので、自分が楽しくなることだけではなくう、どうしたら周りも嬉しくなるだろうと考えることにしています。

そこでまた浮かぶのは、「なぜ表現するのか意味がわからない」との疑問です。
そんなことを考えていると、今日の午後タクシーに乗る機会があったのですが、非常に運転の上手な方でした。
「運転がたいへんお上手ですね」と声をかけると、「分かってくださる方は少ないので嬉しいです」とのお返事を頂きました。
自分の表現したことでお相手が「一人じゃないんだ」と孤独を感じずに済むことがあるのならば、私自身も嬉しいです。
考えてみれば私自身も先生の演奏に癒されているうちの一人なわけで、少なくとも表現すること、受けることを無意味ではないと感じているわけです。
第二部のメッセージに「思考の元となる愛」とありましたが、こういうことなのかなと思いました。もしそうならばこうやって思考できること自体非常にありがたいことですし、今後も誰かの癒しになれるならば、表現を重ねて磨いてゆく、そういう脳をつくってゆく甲斐があります。

掃除や料理、音楽をするにつけて自分はセンスがないなあと実感する日々です。ただ、センスがないからと諦めてしまうわけではなく、センスがないなら脳をそういう風につくってゆけばいいじゃないか、と考えるようになりました。
最近は新たな身体の使い方を模索しています。(民族)太鼓を演奏する際に上手になりたい理由ももちろんありますが、眠る習慣をつくるにあたって歩きを重ねるうちに足の裏、ヒザが痛くなることがあったからです。
足の裏の痛みについては靴選びが間違っていたせいもあるということを教えて頂きわかったわけですが、果たしてそれだけなのかと調べ続けてわかったのは、足の指の使い方にあるということがわかりました。そういう表現をする場でもないので詳しくは割愛しますが、そうやって試しに歩いてみる、電車・バスのなかで立ってみると、安定感が段違いになり、痛みもなくまったく新しい世界を見ることができ、たいへん喜んでいます。もし困っている人がいたら教えてあげようと思います。

では、今日もしっかり睡眠を取りたいと思いますのでこの辺りで。。。

あらためて、お誕生日おめでとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

中川 秀之











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「高句麗伝説」第11弾