おおいなる存在の大展開
24日の三鷹でのコンサートから帰宅した時、時間の感覚が分からなくなり、今日は本当にコンサートに行ったのだろうか?と思うくらいあまりに壮大で、この世の時間空間を超越し、宇宙までも飛び越え、突き抜け、全く異次元空間へ、瞬間移動で行き、帰ってきた体感でした。それは一瞬のようであると同時に、とてつもなく長い時間を旅してきた感覚です。今までに全く無い経験、今までの全てを突き抜けて未知へ未知へ・・無限に旅するような、深い経験を頂きましたことを、まことに有り難うございます。
「無双」というコンサートのメッセージをお聞きした時は、(自分にはそんなの無理)と負けたことしか知らない後ろ向きの思いが顔を出しましたが、先生の演奏が堰を切る勢いで始まって、狭くてけち臭い自分の枠を瞬く間に吹き飛ばして下さり、まったく別次元で生きる自分にまで一気に引き上げて下さいました。おおいなる存在が、とてつもなく大きな木か、どこまでも続く海原か草原のように広がり、その懐で本来の自分は、思い切り身体をひろげて自由に、ダイナミックに舞い、飛翔し、喜びにあふれました。おおいなる存在の懐にいだかれている時、そこに比較はありません。それぞれの人間が、ただただ自分をそのままに、どこまでも、自由に、のびのびと展開させ、伸ばしていける空間です。それは先日の雨の朝、不意に訪れたあの喜びの空間であり、そこで生きる自分でした。「ここで生きていけばいい。」と心に聞こえ、大きく頷く時、コンサートのメッセージの文章がそのまま体丸ごとわかり、受け容れられたのです。そのことがまたとても嬉しくて、自分は小さな双葉から芽が出て、先生のピアノの音を太陽の光と雨と風のように浴びて、大いなる存在のもとで喜びとエネルギーにあふれ、枝葉を伸ばし、若木となってすくすくと育っていきます。
そして第二部では「無双愛」とお聞きし、メッセージをお聞きした瞬間「万歳!」と心に叫び拍手していました。自分はこれこそを求めていたのです。第二部を経験し、心にトゲのように刺さっていた愛に反する思いが無くなっていました。22日のコンサートで、自分の行く手を妨害し居座っていた思いです。それは嫉妬でした。私はある人に嫉妬して苦しんでいました。大いなる存在を心に置こうとするとき必ずその人が窓口のように現れ、払っても払ってもそうなってしまうことが、大いなる存在を求めても必ずその人が出てくることが辛くて、それをどうしたらよいのか分からず、そこで躓いてしまったのです。嫉妬は比較することから始まっていました。第一部でそういう生きる世界まるごと木っ端みじんに打ち砕いて頂きました。そして、この地上で生きる人間の自分では、到底想像も出来ないし理解することも出来ない、素晴らしい空間へとジャンプして、すっかり心境が変わってしまったのです。そうやって第二部を迎え、これでもかと言うほどのおおいなる存在の大展開が始まりました。
それは壮大な交響曲か映像詩のようでありながら、自分は距離のあるところからそれを聴いたり見たりして感動しているのではなく、おおいなる存在の元から生まれ出た一筋の光として、その壮大な展開と超越の只中にいだかれ、生かされているのです。おおいなる存在は、手の届かない、距離のある、抽象的なものではなく、ほんとうに大存在としてありありとこの身の裡に感じられます。私は女性ですが、それは人間の性を超越した大いなる男性とも感じられ、すべての人間の偉大な父のようでもあり、とても懐かしくて恋しくて、泣きたいような気持ちになりました。先生の演奏される一音一音は、心の深奥に隠された、女性としての神秘に触れてくださる繊細な言葉のように感じられ、その言葉が何なのか?未だ分からなくても、そこから未来へと開花し、展開していく新しい命に生まれ変わっていく、まるでさなぎから蝶へと変容を遂げていっているような予感に心がふるえ、ときめきが生まれます。おおいなる存在のためならば、自分は命を惜しまず尽くして生きていく。自分の持って生まれた個性と働きと才能をどこまでも開花させて伸ばしていく。そういう熱い気持ちが心の底から湧き上がってきました。
誰かに嫉妬するというのは、自らの生命を思いっきり燃焼して生きていないからだと分かりました。おおいなる存在のもとでは、周囲との比較はなく、どこまでも一人一人が自ら分かれてきた光を思い切り輝かせ、持って生まれ出た使命を実現することとわかります。そして、人間一人一人が残らずそう生き切ることで、世界の真の恒久平和が実現される。そのために命を燃やし切り生きることが真の人間であることなのだと・・自分のつたない言葉の表現では言い尽くせませんが、そのように受けとめさせて頂きました。
先生の渾身の音、音、音・・これでもまだ分からないのか!と心身の底の底から揺さぶるほどの音のメッセージの展開、炸裂、に胸がいっぱいになりました。人間として生まれたことに感謝し、人間本来の生きる使命に目覚めるよう、ピアノで表現の限りを尽くしてくださる先生に心から感謝いたします。
おおいなる存在のもと、新しく生まれ、生きていく日を迎えることが出来ました。心よりありがとうございます。