おおいなる存在のもとで生きる
27日の府中でのコンサートはライブ配信での参加でした。「先生の演奏なさる一音一音を残らずこの身体に感じよう。」そう決めて音に集中しました。何も考えず何も解釈せず、ひたすら先生の音をお聞きしていると、空っぽになった身体に音が光となって降り注がれ、光いっぱいに満ちていくのを感じました。自分というものが何も無く、音の中に溶け込み、光となり、広がっていきました。超越的存在、おおいなる存在、といつも思い浮かべる時の、手の届かないような距離はそこにはなく、そもそも心に思い浮かべる・・という事では無くなっていました。超越的な存在と一つであり、大きな親のような存在と感じ、親の懐に飛び込み、いだかれ、深い安心感と喜びに満たされました。本当に両腕をさしのべ抱かれている温もりの中にありました。それはまさに愛であり、愛一元の世界で生きている真の自分でした。
「私はここで生きる。おおいなる存在の懐で生きる。」揺るぎなく心にそう決めてびくともしない自分がありました。それは今そうなったのではなく、初めからそう在るのであり、それはとてもシンプルなことに感じられ、難しく思えたり、不安や疑いを感じたりするのは、全て迷いであることが明快に分かりました。
コンサートの初めに、「今日は一音一音残らずお聞きする」と決めて、コンサートに臨んだことを思い出しました。気負いや、ねばならぬ思いでそう決めたのではなく、心の裡から迷い無くまっすぐに出てきたものに素直に従い、導かれた感覚でした。先生の音を一音一音残らずお聞きする。と決めることは、「おおいなる存在のもとで私は生きる。」と決めることと同じでした。そう決めて臨むからこそ、そのように導いて頂けるのだと、コンサートの経験で分からせて頂いたのでした。
おおいなる存在と一つである愛、その深い喜びと安心を心ゆくまで経験させて頂いて、「どのような時もここで生きる。」と心に揺るぎない意志が生まれ、自分の軸が決まりました。日常はコンサートの経験をどこまでも広げ、そしておおいなる存在のもとで生きる自分をあらわしていくことが本当に生きることです。そのように生きていきます。
この世のどのような修行をしても決して得られないほどの、素晴らしい経験を頂きまして、まことに有り難うございます。