おおいなる存在に受け容れられ生きる生命
コンサート前に、今日感じた春風があまりに気持ちよく、人生の不思議なことに何かとっても心がときめき、書き込みさせていただきました。亡き父母も兄もいる春の時を経験でき、ここから何かがはじまる兆しが嬉しく感じてなりませんでした。高校時代は灰色でした。今日感じた春風は灰色になる前の何かがはじまり予感を感じていた春の風です。中学の時もそうでしたが、未来へ向かい大きく前進しようとする時、風を感じていますが、風を閉じ込めるように生きてしまったのだと感じながらコンサートへと向かいました。その風が蘇る時を迎え、いつも人生これからと感じていける感謝と、人生あの時からやり直したい気持ちが生まれてしまう私はあの時よりも良くやり直していける人生を生きていけるとは本当に恵まれていると感謝し、人生を考えながら、先生の演奏を心待ちにしました。開場する頃になると、体が苦しく、あちこちが痛みはじめ、気持ちが悪くなってくるのです。珍しくぐっすりと眠れ、春風を感じ、とても調子が良かったのですが、先生のコンサートは、真に世直しであり、根源解決の場であることを身をもってわかります。人々の苦しみ、限界となっている状態が一気に押し寄せ、集まってきます。何大抵ではなく、大仕事と気を引き締めます。
コンサートメッセージは、「ゼロからのスタート」です。
「不浄なもの、目には見えずとも覆い被さっているもの、時には身の丈に余るマントのようなもの、などなど、単純に過去などとも言えない今とも未来とも言えないもの。これらのものを脱ぐことにより限りなくゼロになります。不思議とゼロというのは何もないということではないのです。無くすれば、無くするほど豊かになるというゼロです。このゼロの中に壮大なビジョンになるうる世界をあらわし、これからの全てのスタートアップにしてほしいと願います。まず不浄を祓います。次に。。。皆様の一年の良きスタートを切っていただきたいです。ゴールは見えない素晴らしいスタートです」
生命に覆いかぶさっているものが剥がれていきます。突然、頭の枠がとれ、ある衝撃を受けました。頭がひらき、何をも受け容れていける状態となり、目が覚めました。とても驚きましたが、これが人間、と涙があふれてきます。頭の枠により人を分け、物事を分け、自分が受け容れられないものを認めずでは人間ではないのです。全てを受け容れることからはじまることを経験させていただき、人間になっていける何とも悲しく、感謝にあふれる経験となりました。
第2部は、「ゼロからの愛」です。
「愛には制約がありません。地域の発展を考え、若い人達の先行きも考え、しかし結局は今までのしきたりで縛り、自分達の老後の面倒をみさせることが中心であるみえみえの村落のような現実があります。発展とは反対に過疎化し、あるいは喪失してしまっている現実があります。この有り様にどこに愛があるでしょう。年齢差、男女、学歴、今までのしきたり等あらゆることを一回ゼロにして愛に目覚めるゼロスタートより未来はありません」
頭で作り上げた観念、妄想、夢、幸せさえも作り上げた幻想と気づきます。全ては壊れていきました。作られた枠も覆いも取れていきます。幸せを願うので、願った通りにはならず、苦しみ、辛くなるという過去の生き方がそのまま見えてきました。頭で作り上げた幸せを願ってもそれは幻想ですので、叶う訳はないのです。叶う訳がないことを夢見、叶わないからと嘆き、苦しみ、悲しみでは、一人芝居をしているだけと気づきます。何もなくなったら、全ての生命、存在を受け容れる生命を感じ、涙よりありませんでした。メッセージにありましたように年齢、男女、経歴等、外側にあらわる情報により人を見、見た目で判断し、相手のことをあるがまま受容できない今までの人間の在り方は、人間ではないのだとはっきりとわかり、悲しみで一杯となりました。が、誰の生命も懸命にはたらいていることを生命で感じ、見た目でなど見て、何がわかるというのかと、見た目で見る人間の有り様が悲しく感じると同時に、懸命に生きる生命のはたらきに感謝し涙しました。
わがままと言っても受け容れてもらっていればわがままにはならないとも感じました。私は美しい言葉を使うことに徹していこうと心がけてから気づいたことを昨日も書かせていただきましたが、短気であるということにより頭にくるという状態が何かに遭遇すると瞬時に反応するのです。最近のコンサートでは頭に来る場所が痛み、何かが居るのか、棘でもあるのかと感じる程に、違和感を覚えるある感覚があり、痛むのでした。私はとさかに来ると表現していました。アントレプレヌールサロンの後に、大変申し訳ないことでありましたが、この棘かとさかが頭の天辺まで突き出てきて、抑えきれずに先生に頭に来ていることを一気に撒くし立ててしまったのです。すると、頭からとさかが抜けていったのです。そして珍しく夜は深く眠ることができ、目覚めた今日は、自分がどこにいて、何時の時を生きているのか自分が何者かさえもわからない状態で目覚め、とても幸せを感じたのです。先生のコンサートで内も外も全てを受け容れていただいていることを経験させていただいてきたのです。自分も全てを受け容れていければ、人間とし生きていけたのだと感じ、悲しみ、愛を感じました。
第2部の始まりの音、アンコールの最後の音はなんと表現して良いのかをずっと考えながら聴かせていただきました。魂揺さぶられる程好きな音です。この音を聴く為に生きてきたと感じる音です。音であり、音により表現してくださっているある存在、ある状態。。。この為に生まれてきたと感じるのです。最後におおいなる存在に全て受け容れられ生きる生命と言葉が生まれ、武者震いが起こり、魂震えます。
今日のコンサートでは悲しみが地球を一周し、一雫の涙が地に落ち、はるか彼方より注がれる一条の光と出会い、人間は人間となった、と以前先生と人類史を辿り、目に見えない世界を調べていった時に見えた人間誕生の瞬間と同じ光景が見えました。それは見たことであっても、自分の生命の内で起こったことです。悲しみに全身が泣いていました。悲しみが満ち、おおいなる存在に抱かれ、新しい生命が生まれました。新しい生命の誕生であり、新しい人生のはじまりと感謝します。
過去に生きた魂も共に涙していました。魂にも色があり、香りがすることも悲しみと感じました。このことを考えた時、この言い回しがはじまると精神科に行くことを勧められた高校時代のことを思い出し、すぐに引っ込めてしまいました。が、ここは、「いだき」です。全てを受け容れられ、受け容れていける空間です。魂にも色があり、このように分けられることも悲しいことと、感じたままに心の中で表現していました。
真を前にし、頭を垂れ生きる人間としスタートしたいと望みます。ある時の講座にて、先生は人間の素人になることに徹してきたとお話くださった時、胸動き、涙あふれました。私もそうありたいと望みました。私は人の運命が見えたり霊魂、霊界も見え、木や花の声が聞こえると今ではそのまま表現させていただいていますが、専門家に判断されると、病気とされてしまうことで生きていけない苦しみを感じ生きてきました。先生にお会いし、全てを受け容れていただいたので、生命助かり、今も生きていられるのです。人間の素人で生き、何も評価もせず、あるがままを受け容れられる人間とし生きていきたいと悲しみの涙が全身に満ち、光に包まれました。ここでなら誰もが生きていけるとコンサート中、心の中で言い続けていました。人を分け、評価し、批判までする人間とし生きていくことは悲しいです。全ての生命ひとつにつながり生きる人間の生命です。悲しみ、感謝、やさしい、喜び入り混じる、言葉によっては表現し尽くせぬ胸の感動、震えをなんという言葉に表せるのでしょうか、と目を閉じ、内面深くを感じながら演奏をお聴きしていました。コンサートが終了後に、えりかちゃんが私の真似をし、胸の前に手を合わせ、じっと目を閉じ、お地蔵さんみたいだったと話していました。無我夢中であったと気づく、えりかちゃんが私の真似をする姿を見、笑いが込み上げます。祈るようにし、悲しみが光に包まれ、新しい生命が誕生する瞬間を迎えた体感でした。ありがとうございます。
今日となりましたが、スカイロケットセンターにて午後5時からビデオ講演会をさせていただき、午後7時から「本音で生きてください」講演会をさせていただきます。