おおいなる存在とつながる真の光
日付けが変わってしまいましたが、今日も迎賓館にてコンサートを経験させていただき、新しい生命で生きる新しい人生の第一歩を踏み出せました。内は新しく生まれた赤子のような感覚でピアノの一音一音をお聴きしました。歩き方、考え方をひとつひとつ教えていただいているように聴こえたピアノの音でした。現実は内に感じる赤子と今までの自分が見えます。この世で覚えた余計なことがひとつひとつ剥ぎ落とされ、必要なものだけが残ります。全てはなにもないところからはじまることを実体験しました。何かがあってはなにもはじまらず、変わることはできません。休憩後のお話の内容は盛りだくさんです。昨日のコンサート前には大変しんどい状態であったことをお聞きし、改めて申し訳なく感じます。パイプオルガンの椅子に座り倒れるのではないかと感じられる程に頭が大変であったと改めてお聞きすると本当に申し訳ない気持ちで自然と頭を垂れます。昨日から人間の頭が部分的なひとつの世界に固定されていることの限界を嫌と言うほど感じています。全体をわかっていなければ、すべては偽りとなることがそのままわかります。部分は正しくないのです。全体である生命である先生はこの世で頭がはたらかない人ばかりに囲まれてどれだけしんどいことかと考えても、この考えも私の頭の範囲で想像しているので、正確ではないとはすぐに気づきます。頭で死ぬとはこのような状態であるということを先生は身に受けながらも演奏をしてくださっていたことに、どんなに想像してもできることではなく、ただただ感謝よりありません。人と共に活動する上でいつも苦しむことは用件が通じないことです。用件を言ってもメールしても間違う結果となるのは何故かとは常に悩むことであります。それぞれの解釈で用件を聞きますので、私の用件とは違うことをしてしまう故の間違いとはよくわかるようになりました。用件が通じないにも関わらず、いつも無事にコンサートを開催でき、活動も出来ますことには感謝よりありませんが、本当は人類史上初めての人間とは何かの答えを見出された先生のことを世界中にお伝えできれば心痛んでならない世界中の問題も解決できると考えている私は、皆で能力を上げ、世界の平和を実現することをどんどん進めていきたいと望んでいます。なかなか言葉が通じない状態で時には疲れ果ててしまいますが、先生は生まれた時から全く言葉も何も通じない人ばかりの世界で生きてこられたことを考えると、先生のように生きていくことが答えと常に行き着くのです。最近は先生のように生きていけばいいと考えるようになりました。以前は先生は特別であるので、先生のようにはなれないと思い込んでいたのです。今は先生のように生きていかねば生きていけないと身をもって感じています。
ピアノをノンペダルで弾かれる時のこと、ペダルを踏んで弾かれる時のことをお話くださり、お話しの後には、説明していただきながらノンペダルでピアノを弾いてくださいました。私は心澄まし聴かせていただくと、生命の深奥に輝く真の光が柱のようにし生命の内に立っています。ノンペダルの音は光の柱にダイレクトに響きます。内を浄めていただき、最も美しい光が現れます。ペダルを踏んだ音からは人との関わりが生まれます。私にとっては異質な世界との交わりと感じる関わりも生まれます。異質な世界と交わり、融合し、大きな世界が広がります。魂と魂が共鳴し、愛が生まれます。いつも世界を変える活動がしたいと切望しています。世界を変えていける先生がおられる時代に生まれ、出会うことができ、一緒にはたらくこともできているこれ以上ない境遇にあります。世界を変えていける先生にお会いしていながら、人との関わりに苦労し、物事が思うように進まないことを嘆く自分をなんとか変えていきたいと望みます。先生は思いは思い通りになる訳がないとは最初からおっしゃっています。私もよくわかっていますので、思うように進まないことは当然と考え、いつも仕切り直します。この場に及んでも世界の平和実現に向かう活動を思い描いている自分を自覚し、変えるよりないと甚く感じました。生命の内に立つ光の柱と光のまわりにたくさん纏わりつく黒い余計なエネルギーがある自分の状態をおおいなる存在にさらけ出し、図々しいと感じましたが、全ての結果は委ねたのです。自分勝手と自覚しました。おおいなる存在には最も美しい自分を委ねていくのだとわかりました。生命の内に輝く最も純粋で美しい光はおおいなる存在とひとつでした。ここで生き、真の自分を表現し、真が実現する世界を創り、広げていく動き方を先生の演奏から学びました。その時、人との関わりは気にすることでもないことは明らかにわかることです。今日のお話しの中で最後は人のせいにし死んでいくとお聞きした時には、恐ろしいと感じ、真剣に考え始めました。世界の平和を実現できなかったのはまわりのせいに出来る訳はありません。先生がおられるので、まわりの環境はできる環境であるのです。人と共にやろうとしているので、半端であるとわかり、自分でやらねばならないことを生命でわかりました。そして一人一人が自律し生きていけば、共にやれるのです。やはり基本は「いだき」です。いだきで生きることを徹して身につけていきます。胸の内に輝く光が全体とひとつとなり全ての存在が共鳴し、胸の奥から溢れる感動に、美しい未来を見ました。生命賭けコンサートをしてくださっているのに、私達スタッフの思い込みにより、ミスが多く、先生にご不便をおかけしますことが心苦しく、申し訳なく始まった迎賓館コンサートでした。先生がいつも皆のおかしさを引き受け、我慢しながらも先生は世界を変える表現をしなければならないので、コンサートは無事に開催できているのです。この現実を皆で受け止め、せめてここに皆で自分の言葉で表現する書き込みをしていきたいと願います。思い込みや解釈によっては何ひとつ真実をわかることはなく、先生のことをわかりようがありません。先生が最も表現しやすい状況を作れるように尽くしたいです。一人一人が世界を変えるコンサートであることを自覚し、臨んでいけますことを願います。書き込みに対してのご指摘にも頭を垂れざるを得ません。先生が為さってくださったいることとは程遠い表現と感じています。先生がおっしゃるように日々考え、工夫し、表現し、皆で成長していきたいと願います。私は願うだけではなくそうしていけるように行動します。
今日も迎賓館コンサート後に残りのマーブリングをしました。レバノンの難民キャンプに送るTシャツも今日ですべて終わりました。ありがたいことに、便りがなく心配していましたレバノンに送った支援物資がようやく通関でき、私の代理で動いてくださっている方が住む南部の村に運ばれました写真と報告が届きました。まもなく配ってくださるそうです。ほっとしました。
マーブリングがはじまる前に雷雨となりましたが予定時間には雨が上がりました。全ては順調に進みました。まもなく一雨が降ると感じ備えている時、鹿が鳴いていました。何を伝えにきてくれたかと心澄ましました。雨が降ると伝えてくれたと感じましたが、その後に今にも降りそうであった空模様もゴロゴロと鳴っていた雷も収まり、今までにない静けさに包まれました。鹿の声からはうごめているエネルギーを感じましたが、突然何かが変わり、天候も空間も空気も一変しました。今日の迎賓館コンサートで先生が身に背負い、解決へと表現し続けてくださったエネルギーが整理され、空間が変わったのだと感じ、感謝あふれます。
全てのマーブリングが終わり、見上げた月は明らかに何か大変なことが起こり、乗り越えたことを伝えていました。大きな山を越え、ほっとやすらぐひと時となりました。
琵琶湖、京都、迎賓館での4日間連続コンサートが無事に終わり、次は6月ラストの盛岡でのコンサートへと向かいます。皆で無事に全てを乗り越えていけますようにコンサートで経験したことをわかり身につけていきます。ありがとうございます。