おおいなる光の波
日中の仕事を、終えたあとのコンサート参加で、一部は、なかなか音とひとつになれず、今今の瞬間の音に集中し祈るような気持ちでそこにおりました。音とひとつになれ涙が滲みます。一部の終わりでは、今作っているものに関係すると感じる、シンボルマークのようなものが見えました。天から授けられたものであることに喜び満ちます。何かになっていく、と帰宅しすぐ絵にしました。
二部では大きな光の波のカーテンが目の前に現れ、絶妙な瞬間で身にまとうようにやってくるおおいなる存在とひとつになる今まで経験したことのない経験をさせて頂きます。ピアノの低音の不思議な配置というのかその世界を表せる先生の人智を越えたお力に有無をも言わさずなされるがままに光とひとつになる瞬間の連続をどのような言葉をもって著したらいいのでしょうか。二部後半ではようやく内面との対話が始まりました。自分の生まれ持った才能を活かさなくて生きている意味はあるのか。と。ずっとこの事は以前のコンサートでも、日常でも感じていることで、今日はひとつ、新しいことに踏み出し、この場にこれた偶然は新しいはじまりでもあり、天からの恵の時だったかもと、感じます。
コンサートでは、琵琶湖の湖の底がみえたようにも感じ、琵琶湖コンサートでは、もっと潜んでいた能力が出てくると、コンサート後のノートに私は綴っています。
世界の海を駆け抜け、世界をいだきにされていく、圧巻なる演奏に、オーバーシー、と言葉が生まれました。人生は自分の本音でプログラミングし、創っていけることを演奏から学びました。先をつくる言葉が要です。自分達にもこんな可能性に満ちた時はないのだから、どんどんやっていけばいいのだと、先生の演奏から学びます。光ある未来から見たら、成っていくよりない道であると感じます。この度はいつもより、コンサートで前の方のお席で聞かせて頂き、先生の新しい存在を目の当たりにさせて頂き、はじめてお会いするようでした。先生と高麗さんにお会いできている奇跡の人生、まことに、ありがとうございます。