うんめいあい
どんな困難が起こっても必ず起き上がる。
昔、起き上がりこぼしという、人形?のような、からくり仕掛けで出来ている飾り人形がありましたが、そのイメージは自分の人生のなかで前向きに生きていくという一つのシンボルにしていた時期があったことを今日になり突然思い出しました。
昨日のコンサートでは、こうなりたいとか、憧れとか、期待とか、そんなものはまるで通用せず、ただ先生のピアノの音の前には座っているだけの在り方でしかありませんでした。ピアノの音は確かに届いていても、内面に届いていないことを自覚しながら終演が近づいていました。諦めるのか、と自分に問いかけました。そのとき2部のメッセージが浮かびあがりました。
気づかなければもう先が無いというときに先生の演奏が何もわからず、何も感じられなくなることがありました。焦りながら、もう駄目なのか、と諦めかけようとした瞬間、大きく反転して、今まで見ないように隠していたことが観えてしまったことがありました。諦めるのか、その極限の選択が出来るコンサートに身をおかせていただいている、超越していける瞬間であることを昨日はコンサートラストにて経験させていただけました。自分の運命を積極的に肯定し、生き抜こうとする態度。自己を超えた存在に受け溶れられるコンサートでなければとても経験できることではありません。
自分のうんめいを肯定するときに意志が生まれます。
今日はパイプオルガンがある府中ウィーンホールのコンサートです。
2月連続のコンサート4回目をありがとうございます。