KEIKO KOMA Webサロン

うごき


御霊を慰めるはずの慰霊が、かえって死者を冒涜・・・とまではいかずとも、逆に魂を苦しめていやしないかと、去年亡くなった叔父の葬儀やその後の法事などで感じること多く、このたびのコンサートで多くの魂が真に慰められたことを感じ、ありがたさでいっぱいです。昨日は朝からどう言うわけか胸が痛み、重く、塞がるような感覚で目覚め、そうだ今日は東日本大震災の日・・・と思いながら身を起こしました。夕方までずっとこの胸の痛みが続きました。配信にて参加させていただいたコンサートでしたがピアノの第一音から体に届く、豊かな慰めの音・・・と思う間も無く、意識があったのは第一音だけで、コンサート第一部の間じゅう、私はどうしたことか、気を失ったように眠っておりました。申し訳ないです。これは自分の在り方の不味さか、それとも・・・と考えてもわかりません。が、第一部終了の拍手直前に目覚めた時には、胸の痛みは消えさっていました。先生の尊いおはたらき、どれほどのことであったことでしょう。いつも命懸けで私たちが生きられる世界を創り続けてくださり、有難うございます。昨日は、たまたま東京にいた時代からの仲間と話す機会があり「基本に忠実に表現をすること」の限界とつまらなさを私は切々と問うておりました。基本はもちろん大事。なのに、その基本に忠実であろうとすればするほど、本人の中にある「何か大切なもの」から遠ざかっていくのはどういうことかと話し合っておりました。第二部の「愛は基本か?」のタイトルにドキドキしながら高麗さんのお声を聴かせていただきました。深淵なるメッセージでありました。全部がわかったわけではないのですが、「愛はゴールがない素晴らしいスタートです」の言葉に大きな希望を感じました。常に感じることですが、先生のお伝えくださることには「固定」したり「決めつけ」たりという不自由さが微塵もなく、常に動いている自由な生命を感じます。命は常にさまざまな人や事柄や生命体や霊魂と繋がって「動いて」いくべきものではないかと今日は考えております。いえ、「べき」というよりそれが当たり前の状態ではないかと。この数日、どういうわけか動けずにいる自分を自覚しておりました。今こうして書き込みをさせていただきながら、お腹の中に沸々と熱いものが生まれてくるのが感じられます。いつもスタートしているような心持ちで、うごきを止めずに生きて行こうと思います。今夜は初めての場所で初めての仕事です。ささやかな仕事ですが、この温かな胸のままで、行って参ります。

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高麗恵子ギャラリーにて
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「高句麗伝説」第11弾
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美しい5月の風 -2